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2022.03.29 tue

「美しい」のその先へ、 100年後も持続可能な富良野を目指して

「美しい」のその先へ——。これは富良野市が2021年に作成した総合計画書のタイトルです。富良野は、1980〜2000年代にかけてTV放映されたドラマ『北の国から』の舞台として知られ、スキー場やゴルフ場などのレジャー施設の建設も合わさって人気の観光地となりました。TVで注目された時代から時間が経過した今、改めて自然の価値や暮らしやすさを見直し、市や民間企業、行政が協力して総合計画書を作成するなど、これからの富良野の在り方を地域全体で模索しています。

サステナビリティとコミュニティの関係を考えるGGPのイベントシリーズの5回目(2021年11月18日オンライン開催)では、富良野の自然環境を守りながら環境教育の観点でその魅力を発信し続ける「富良野自然塾」の中島吾郎氏、100年後も輝き続けられるまちづくりを目指して富良野の街の活性化に取り組む実業家・中村靖教氏をお招きしました。イベントではお二人の活動について伺い、これからの地域コミュニティの魅力発信のあり方や住民としての関わり方について考えました。

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左からフラノデザイン中村氏、富良野自然塾中島氏、GGP事務局木村

Inrtoduction

イントロダクション

Session1

NPO法人C・C・C富良野自然塾 理事 中島 吾郎

Session2

フラノデザイン(株)代表 中村 靖教

Panel
discussion

100年後も輝き続けられるまちづくりとは

日本を代表する脚本家・倉本聰氏の作品が好きで、2006年に同氏が「富良野自然塾」をスタートさせると知り、勤務していた会社を辞めて静岡県富士市から移住してきた中島氏。その富良野自然塾が展開する事業は、大きく二つあります。一つは、閉鎖したゴルフ場の跡地にミズナラやトドマツなどの在来樹種を植えて元の森に還す「自然返還事業」。もう一つは、そのフィールドを使った「環境教育事業」です。

「事業の立ち上げから10年以上が経ち、初期に植えた木は15mくらいまで成長し、森に還りつつあります」と中島氏。

木のBefore・Afterの写真 ※以降写真は富良野自然塾・中島氏提供

環境教育事業では、北海道の大自然を五感で感じながら地球環境について受講者に楽しく体験してもらいます。たとえば、なぜ木を植えるのかを学びながら植樹したり、かつてのゴルフコースを利用してつくった460mの小道を使って、地球46億年の歴史をたどりながら人間の営みが地球にどんな影響を及ぼしているのかを考えてもらっっています。個人旅行から、学校団体、企業まで、幅広い対象に向けて多彩かつ示唆に富んだ研修プログラムを提供しています。

研修プログラムの様子

「大雪山系を臨む雄大な自然の中でアウトドアミーティングを行ったり、SDGs関連の国内ワークショップを開発したり、地域住民との交流会や農業体験を行ったりなど、持続可能な社会の実現を学ぶ場にしていきたい」と語る中島氏。夏は湿度が低く爽やかな気候で、冬は厳しい豪雪地帯という富良野ならではの自然を生かして、この地からさまざまなことを学び、次の社会をつくっていく若い世代を育てることを目指しています。

続いての登壇は、富良野で生まれ育ちながら、一度東京で就職し、再び戻ってきたという中村氏。「大好きなこの街の魅力を現代の視点で発信することで持続させたい」と、富良野に必要なことを探し始めたそう。
そして富良野の魅力を伝え続けられるデザインやプロモーションの必要性を感じた中村氏は、2015年に会社「フラノデザイン」を立ち上げ、2019年に法人化。ホームページ制作や、DTPデザイン、コワーキングスペースの運営など幅広い事業を展開する傍ら、富良野市のプロモーションや総合計画策定に関わっています。

総合計画というのは自治体が10年程のスパンで考える「どのようにまちづくりを行っていくか」を示した行政運営のための計画のこと。

「街の行く末の指針となる計画でありながら地域住民に知られないことが課題でした。」(中村氏)。

そこで、中村氏が関わった総合計画では、少しでも地域住民に関心や親しみを持ってもらえるよう、冊子のタイトルを『ふらの版みらいを旅するNOTE』と題し、リリース。

「街づくりは行政だけ、もしくは市民だけが頑張るという話ではありません。一緒に旅をするように街づくりをしていこうと、みらいを旅するNOTEというネーミングを採用しました。そして時代の変化にあわせてアップデート前提であるというメッセージを込めて、常に書き換えていけるNOTEとしています」

第6次富良野市総合計画※以降図版は第6次富良野市総合計画資料より引用▶︎http://www.city.furano.hokkaido.jp/docs/2021040900035/

作成にあたっては、100人の市民を集めて富良野の現状の課題について議論する市民協働ワークショップを行い、富良野にとって大切な視点を言語化していきました。ワークショップの過程で出たアイデアは実際に総合計画の中にも盛り込まれています。

さらに富良野市は、『ふらの版みらいを旅する10年カレンダー』を作成して全戸に配布。
「10年先の街の未来、自分の未来を自分ごととして捉えてもらうためにも、カレンダーに家族の年齢を書きこめるようにしました」と中村氏。たとえば、今30歳の人が40歳、10歳の子どもが20歳と考えると、急にこの先の10年がリアルに迫ってきます。

誌面イメージ

こうして、市民・民間・行政の共創の形で生み出された総合計画は2021年4月からスタート。新しいまちづくりのスローガン「『美しい』のその先へ。WA!がまち、ふらの」の”WA!”には、持続可能なまちづくりに求められる4つのWA!=ひとのWA!・しごとのWA!・まちのWA!・自然のWA!の意味が込められ、これらを「共創」と「デジタル」の両輪で実現していこうとしています。

まちづくりのコンセプト・4つのWA!

木村 実は今回、イベントの前から富良野に入って、中島さんのお話にあった自然学習のプログラムを体験したんです。この短期間で僕自身も富良野の魅力を実感したのですが、県外から富良野に移住してきた中島さん、そして一度街の外に出てから富良野に戻ってきた中村さんが、それぞれ富良野に対する愛着を持たれたきっかけは何だったのでしょう?

中島 静岡県富士市で育ち、両親も自然が好きでしたから、よく山に連れていってもらった記憶があり、根底には自然が好きというのがあります。そんな中でドラマ『北の国から』に出会って、ドラマの内容はもちろんですが、根底に流れている倉本聰のスピリットや考え方をダイレクトに感じたいとずっと思っていたんです。僕が移住を考え始めた30歳くらいのタイミングで周りの友達や妹に子どもが生まれたんですね。この子たちの未来のために仕事がしたいなと思ったのと富良野自然塾のスタートがリンクして、背中を押されたように移住してきました。

中村 東京でIT系の会社に勤めていた中でも今の仕事にもつながる「愛する地元を自慢したい」という気持ちはありました。でも、その思いも富良野にいた時から持っていたわけではないんです。富良野から離れて過ごした学生時代は自分が東京で遊ぶので精一杯でした。でも就職してから、東京で仕事が終わって満員電車に揺られながら家路についたとき、今まで育った富良野の環境はすごく幸せだったんだなぁとしみじみ感じた記憶があります。

木村 その感覚、よくわかります。今日大雪山国立公園の十勝岳周辺を歩いたときに「生きているな」という実感がしたんですよ。雪を踏みしめたり、自然に囲まれていると、何が起きているわけではないのに生きている実感を感じられたんです。都会の中では生きている実感ってなかなか得られない。家にいても四六時中インターネットにつながっていて、何かを見ている。主体的に動いているようで、実は受け身だし、消耗してしまうんですよね。その違いを実感しました。

中島 そうですね。富良野自然塾の森の中を目隠しをして歩くプログラムに参加された方から、「自分の足音を久しぶりに聞いた」と言われたことがあります。落ち葉を踏んだり、砂利を踏んだり、都会の雑踏では消えてしまう音、イヤホンをしていて聞こえない音が、ここでは聞こえます。「今、歩いているんだ!」と五感でわかる。

中村 冬の完全に冷え切った空気の中で踏む雪の「きゅっきゅっきゅっ」という音も、こういうところじゃないと体験できないので、確かにそういう気づきは生まれやすいかもしれません。

木村 都会は生きている手触り感を感じにくいのかなと思いましたね。自然に身を置くからこそ見えるものがあるのかもしれません。

木村 そうした恵まれた環境がある一方で、さまざまな課題もあると聞いています。お二人はどのような課題を感じられていますか?

中島 倉本聰の作品が多くの観光客をこの街に招いたわけですが、作品のイメージが先行してしまって、地元の人たちが感じていることとのズレが生じています。そこに対して何かできるのでは?と模索しています。

中村 わたしは共創を推し進めている一人なので、社会構造が目まぐるしく変化していく中で、100年後を見越して、ここに住んでいる人同士がどうやってつながり、協力していけるかが課題だと感じています。その仕掛けを少しずつつくろうとしているところです。

中島 移住者として街に入り込むのに思ったよりも時間と労力を要しました。移住者は富良野が大好きだからか、「この地で何かやってやるぞ!」という気持ちが強く出過ぎてしまい、地元の方と温度感がずれてしまう。お互いのベクトルをあわせられるといいのかもしれないなと思っています。

中村 中から見ると、むしろウェルカムな街だと思うのですが、移住者の方はそんな風におっしゃいますね。

木村 お二人とも富良野に身を置いて活動されている方として、どのように外の人と関わられていますか? また、どう関わっていくべきでしょう?

中村 富良野の人たちには『北の国から』のマインドが奥底にあると思うんですね。たとえば、富良野はリサイクル率が90%を超えているのですが、それを市民が自然に実践しているんです。街のコンセプトをドラマのイメージ通りに演じているというか。いい意味で演劇の街。私自身、富良野の良さを伝えるときに役者として語り部として演じているような感覚があります。

中島 富良野はイメージが完成しているので、実際に来てみたらちょっと違った、と思われたらもったいない。そういう意識は市民側も高いのかもしれません。一方で、メディアの情報とか関係なく先入観なしで来てもらい、一からイメージを築いていけたらよいのに、と思うこともあります。

中村 そうですね。ノスタルジーを感じる場所など、過去の価値を残すべきところもありますが、富良野にはイノベーションも必要だと思っています。外との交流を持続的に続けていけば、よい化学反応が起きていくし、富良野は外部の人に対してノーと言う街ではありません。観光客などの交流人口を関係人口に変えて、ファンになって関わり続けてもらうという流れをうまくデザインできるといいなと思っています。今まさにこの流れを実現するためにICTを活用し、帰ってからも富良野とつながり続ける仕掛けもつくっています。

木村 共創型の街づくりにおいては、富良野の取り組みは都会よりも先鋭的に見えます。システム思考のアプローチを採用した総合計画策定や、市民中心のワークショップなど、地域の持続可能性をどう考えるか、人口減少にどう備えるかという問題において、中村さんが都会的な手法を持ち込みつつ融和させているのは非常に素晴らしいですね。

中島 中村さんのような若い世代が前例のないことにも新しい発想で踏み出していく様子は、市民としてもわくわくします。

中村 行政側も市民と共創型で総合計画を推し進めようとする覚悟がすごいなと思います。とはいえ、市民の中には「そうは言っても、どうせ変わらないでしょ」と思っている人がいるのも事実。100人協働ワークショップでも、初めての取り組みに対して抵抗感を示す人、一歩引いてしまう態度の方もいました。

そういう人たちを巻き込んでいくためには「風」が必要で、中島さんのような愛を持ってこの地に住んでいるキーマンとやり続けることが大事。地元に長年いる方だと富良野の良さに気づきにくいから、中島さんのような外から視点をくれる人はとても重要なんです。

中島 「そうは言っても」は倉本聰が一番嫌いな言葉です(笑)。総合計画のような長期スパンの取り組みは今すぐカタチにならなくても、想像力が必要だと思います。想像力を磨くには訓練が必要で、富良野の30~40年後を担う子どもたちに未来を想像する場をもっともっと用意して、大人世代だけでなく子どもたちも巻き込んで、みんなで街をつくっていきたいですね。

木村 地域に愛を持った新しい風を呼び込むにはどんなことが必要でしょう?

中島 私が富良野にいる理由は、「生きがい」とか「やりがい」より「暮らしがい」があるからです。病院があるかとか、家賃はいくらか、といった条件よりも、そこでどんな暮らしができるかについてきちんと情報提供していくことが大事なんじゃないかなと思います。そしてそこにマッチした人が定住していくんじゃないかなと思います。

中村 魅力を発信し続けることは大事ですね。発信がなければリアクションも返ってきませんから。どんな魅力を発信するかという核の部分は住んでいる人たちが探していくべきです。住んでいる人たちが郷土愛を持って、その人たちに魅力を語ることができるのは強みになるので、まずは住んでいる人の幸福度を上げていく動きが、新しい風を呼び込むことにつながっていくのではないでしょうか。

木村 地域の人が自ら地域の魅力を発見するということですね。諦めがちな地域もたくさんあると思いますが、そこから一歩踏み出して、自分の地域の魅力を発見していかに発信していくか。まずはそこから始まっていくんですね。

動画再生時間:約65分

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