イベントレポート
知られざる「窒素問題」を解きほぐす「システム思考」――見えない「つながり」を可視化し変革へ導く方法論
Date: 2024.04.19 FRI
#エネルギー
#ESG投資・開示
チェンジ・エージェント代表取締役社長兼CEOの小田理一郎氏(右)、人間文化研究機構総合地球環境学研究所教授の林健太郎氏(中央)、モデレーターを務めるロフトワーク棚橋弘季氏(左)
2024年2月14日、GGPはロフトワークと共同でトークイベント『システム思考で取り組む複雑な環境課題・社会課題の解決−方法論と実践−』を開催しました。気候変動など地球規模の環境・社会課題には多様な要素が複雑に絡み合い、解決は一筋縄でいきません。ある問題の解決に挑むと新たに別の問題を誘発するといったことも頻繁に起きています。
そうした状況に対処するため、目に見えない要素の「つながり」を可視化し、問題の全体像を浮かび上がらせて解決の糸口を探る方法論が「システム思考」です。
本イベントではシステム思考の方法論と実践について学びました。
チェンジ・エージェント代表取締役社長兼CEOの小田理一郎氏がシステム思考の基礎を解説し、人間文化研究機構総合地球環境学研究所教授の林健太郎氏がシステム思考による「窒素問題」の解決に向けた取り組みを紹介しました。モデレーターはロフトワーク執行役員兼イノベーションメーカーの棚橋弘季氏が務めました。
イベントレポート
「こんなはずじゃなかった…」を避けるために
「がんばって取り組んでいるのに成果につながらない。それどころか、状況はますます悪くなっている」――。
環境・社会課題の解決に取り組んでいると、そんな局面に遭遇することがあります。例えば、地球温暖化の解決を目指して再生可能エネルギーの活用は広がっていますが、現実には再エネの利用拡大を上回るペースで化石燃料由来のエネルギーの消費量が増えています。
世界経済は拡大を続け、再エネだけでは急増する資源・エネルギー需要を賄いきれないからです。そこに、「温暖化の原因は化石燃料→再エネ拡大で解決」という単純な構図では気候変動対策が思うように進まない難しさがあります。ロフトワークの棚橋弘季氏はイベントの冒頭、そんな現実をグラフで示しました。
再生可能エネルギーの利用は増えているが、化石燃料由来のエネルギー消費の伸びはそれ以上に大きい
出典:『令和2年度エネルギーに関する年次報告 (エネルギー白書2021)』のグラフ「世界のエネルギー消費量の推移」を基にロフトワーク作成
棚橋氏は、「社会は存在しない」というフランスの哲学者ブリュノ・ラトゥールの言葉を引用し、「社会は固定的なものではなく、様々なステークホルダーや要因が動くなかで刻々と変化していくもの」と、その意味を解説。地球温暖化のような複雑な要因が絡み合う環境・社会問題の解決には「システム思考」の方法論が役に立つと、今回のイベントの狙いを強調しました。
表層だけ見ていたら、いつになっても解決しない
小田理一郎(チェンジ・エージェント代表取締役社長兼CEO)
システム思考の具体的な方法論はチェンジ・エージェントの小田氏が解説しました。
小田氏によれば、システム思考とは、「物事を単純に原因・結果という“線形”で捉えるのではなく、2つ以上の要素が複雑に相互作用を起こしている集合体=“システム”として捉える考え方」です。
その思考プロセスを海に浮かぶ氷山に例えてみましょう。
まず、私たちが目にする「できごと」は海面に出ている氷山の一角。むしろ海中に大部分が隠れています。システム思考はそこに目を向けます。
海中に隠れている氷山のパターンから大局的な流れを掴み、その上でパターンを生み出している構造を分析。目に見えないものを含む全体像を把握します。そして、氷山の最も深層部分にある、私たちの思考を方向付けている無意識の前提=「メンタル・モデル」まで深掘りしていきます。
システム思考を氷山に例えると…… 出典:チェンジ・エージェント 小田理一郎
小田氏は、「できごとだけを見て反応していると、いつになっても解決につながらない」として、道路渋滞を事例に説明しました。
渋滞という表層のできごとだけを見て、原因は「道路の整備不足」にあるとし、「道路建設」による解決を目指したとしましょう。これは「原因→結果」という線形的な従来型の思考方法です。この方法でも、渋滞は一時的には解消します。しかし、何年か経つと再び渋滞するようになり、状況はさらに悪化する場合も少なくありません。なぜでしょうか。従来のような線形思考では、絞り込んだ原因→結果に当てはまらない様々な要因との関係を見落としてしまうからです。
「線形思考」では問題を引き起こしている多様な要因を見落としてしまう 出典:チェンジ・エージェント 小田理一郎
実際、渋滞が繰り返し起こるプロセスは複雑です。渋滞解消を目指して道路網を整備すると通勤圏が拡大し、郊外に新たな住宅が増加。
その結果、郊外から都心部にクルマで通勤する市民が増え、都心の渋滞が一層悪化します。従来の線形思考では、こうした多様な要素の相互作用を的確に捉えることができません。
他方、全体像をシステムとして把握することができれば、道路建設だけではなく、都市部の歩道を増やしたり、公共交通機関を増やしたり、別の解決策が浮かび上がってくるかもしれません。
渋滞が起こり続ける要因をシステム思考で「ループ図」に表した 出典:チェンジ・エージェント 小田理一郎
「思い込み」を排除しないとシステムは変えられない
なぜ、私たちは物事を線形的に単純化して見てしまうのでしょうか。小田氏は、思考を無意識に左右するメンタル・モデルに注意すべきだと指摘します。
小田氏は、巨大なゾウのスライドを示し、私たちが陥りやすいメンタル・モデルを解説しました。私たち一人ひとりの視野や認識では大きな事象の全体像や複雑さを把握するのは難しいものです。それは、巨大なゾウを手に触れられる範囲で感じて、ある人は「壁である」、また別の人は「木の幹である」のように考えてしまうようにです。
視野が狭いと先入観に基づいて判断してしまう 出典:チェンジ・エージェント 小田理一郎
システム思考に基づいて変革を成し遂げるには、こうした「思い込み」を排除することが重要だと指摘します。
では、そもそもシステムとはなんでしょうか。小田氏は、次の3つの特徴から定義します。
1)何かを達成できるように一貫した秩序を持ち
2)互いにつながりあっている
3)一連の要素の集合体
システムは今のパフォーマンスが出続けるように設計されている 出典:チェンジ・エージェント 小田理一郎
つまり、システムは複数の要素がつながりあって、現状を維持し続けるように振る舞う特徴があるというわけです。言い換えれば、既存のシステムを変革するには、「思い込みを排除し、その設計を見抜いて、根本から変えていく必要がある」(小田氏)ということです。
人類に欠かせない「窒素」、実は問題も…
人間文化研究機構総合地球環境学研究所教授の林健太郎氏
次に登壇した総合地球環境学研究所の林氏は、複雑な要素が互いに作用し合うシステムの典型的な事例として「窒素問題」を紹介しました。地球温暖化の原因が二酸化炭素(CO2)であることは周知されていますが、大気の78%を占めている窒素(元素記号=N)が引き起こしている問題は、ほとんど知られていません。いったいどのような問題があるのでしょうか。
窒素は生命の代謝や体づくりに不可欠で、タンパク質を構成するアミノ酸やDNAを構成する核酸塩基の形成に必須の元素です。この窒素(N)は、2つの原子が結合して極めて安定した窒素ガス(N2)となり、大気中に大量に存在しています。
しかし、ほとんどの生物は、実質的に無尽蔵なN2を直接には利用できません。動物は他の生物を食べることでタンパク質の形で窒素を摂取しており、植物は根からアンモニア(NH3)や硝酸(HNO3)といった無機態の窒素を吸収しています。
窒素は、作物を育てる重要な肥料でもあります。N2からNH3を合成するハーバー・ボッシュ法という技術が20世紀初頭にドイツで発明されたことで、人類は望むだけの化学肥料を合成できるようになりました。
その結果、農薬・品種改良・機械化といった農業技術の発展と併せて、1960年代ごろから世界の食料生産は飛躍的に増加し、世界人口の増加を支えてきました。2022年に80億人に達した地球上の人口は2050年ごろに100億人に達すると予測されています。なお、N2以外の窒素化合物を「反応性窒素(Nr)」と総称します。
アンモニアの合成技術を獲得した人類は飛躍的に発展した 出典:総合地球環境学研究所 林健太郎
窒素には、肥料のほか、火薬、爆薬、薬品、化学繊維、プラスチック、半導体といった幅広い工業用途があります。最近では、燃焼しても二酸化炭素が発生しないNH3のエネルギー用途が注目されています。しかし、林氏は、「反応性窒素を獲得したのは人類のサクセスストーリーだが、問題も起こしている」と指摘します。
実は、人類が利用する反応性窒素の多くが自然界に漏れ出しているのです。
例えば、作物の生産では、化学肥料などとして投入した窒素の約半分しか作物に吸収されません。畜産ではさらに効率が悪くなります。日本の研究例では、コメの窒素の利用効率は23 %ですが、豚肉ではわずか7.2%。世界の研究例では、食料システム全体の窒素の利用効率は14%にとどまります。
窒素の利用効率が低いことが大きな課題に 出典:総合地球環境学研究所 林健太郎
窒素問題はあまりにも「ややこしい」
活用されずに自然界に漏れ出した窒素は、安定したN2に戻るまで様々な影響を及ぼします。温暖化、大気汚染、水質汚染、富栄養化など、多様な環境問題を伴う窒素汚染を引き起こしているのです。
しかし、人類の窒素利用が窒素汚染をもたらすという「窒素問題」はこれまであまり注目されてきませんでした。その理由を林氏は「あまりにもややこしいから」と説明しました。つまり、多様な要素が複雑に作用し合い、全体像が見えにくいのです。林氏は、「解決にはまさにシステム思考が必要だ」と指摘しました。
反応性窒素(Nr)は多くの環境問題に関与している 出典:総合地球環境学研究所 林健太郎
林氏が所属する総合地球環境学研究所は、技術や政策、消費者の行動変容などによって窒素問題の解決を目指す「Sustai-N-ableプロジェクト」を推進しています。例えば、「カーボンフットプリント」の窒素版ともいえる、窒素の排出量を見える化する指標「窒素フットプリント」のツール開発にも取り組んでいます(詳しくはSustai-N-ableプロジェクトのウェブサイトをご覧ください)。
そのプロジェクトの一環として、総合地球環境学研究所はロフトワークとともに、窒素問題にシステム思考を取り入れて解決を目指すアプローチに取り組み始めました。総合地球環境学研究所から提供された情報をもとに、ロフトワークが窒素問題のシステム全体を図解する「ループ図」を制作。何を、どこから取り組むべきかを探るのが目的です。
下のループ図は作物生産の部分です。こうしたループ図が何枚もつながり、全体で1つの窒素問題の巨大システムを描き出しました。
窒素問題を構成する各要素をシステム思考でループ図に落とし込んだ 出典:総合地球環境学研究所 林健太郎
林氏は、ループ図を作成する過程で、窒素問題のうち、食料システムに関するステークホルダーの認識向上に向けてとるべきアプローチが見えてきたと言います。まだ検討中ではあるものの、具体的には以下の4つのアプローチです。
1) 多様なステークホルダーにわかりやすく窒素問題の基本を伝える短い動画を作る
2) 脱炭素化、生物多様性、食品ロス削減といった既存の主要プレーヤーと連携する
3) 自治体と連携し、ルールメイキングに当初から参加する
4) 窒素の排出量を可視化する指標「窒素フットプリント」を計算できるツールを開発する
窒素問題の認識を浸透させるための4つのアプローチ 出典:総合地球環境学研究所 林健太郎
また林氏は、脱炭素や生物多様性などの取り組みと連携するマルチステークホルダーのコンソーシアムを立ち上げる構想を披露しました。「名称はすでに決めていて、『Nitrogen in Japan』、略して『NinJa(ニンジャ)』です。最高でしょ?」と述べ、会場から笑いを誘いました。
2026年11月には、第10回国際窒素会議を京都市で開催する計画です。実行委員長を担う林氏は、「国内外の多様なステークホルダーが対話する会としたい」と述べ、幅広いバックグラウンドを持つ人たちの参加を呼びかけました。
窒素問題は、地球温暖化や環境汚染などを通じて、脱炭素化やネイチャーポジティブなどの先行する環境・社会課題の解決を目指す取り組みと密接に関わっています。そのため、解決には多様なステークホルダーを巻き込んでいくことが欠かせません。これまであまり知られていなかった窒素問題ですが、システム思考を取り入れた林氏らの取り組みにより、いよいよ本格的に解決に向けて動き出します。
(文=大竹剛/エディットシフト 特記なき写真=ロフトワーク)
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00:04:54 イベント本編開始