GREEN×GLOBE Partners

記事

地域の当事者目線で考えるサステナビリティ—— 自律協生と地域運営をめぐって

Date: 2024.02.19 MON

  • #地域共創

右から前田昌弘氏、井上岳一氏、山北絵美、川村健太氏

2023年1017日、GGPは京大オリジナルとの共催で、オンライントークイベント「地域の当事者目線で考えるサステナビリティ」を開催しました。ゲストは京都大学大学院 人間・環境学研究科准教授の前田昌弘氏、日本総合研究所 創発戦略センターエクスパートの井上岳一氏の2名です。前田氏は、地域に住む人々がどのように空間を使い、どのような住まい方をしているのかという視点でまちを研究している建築計画学者です。井上氏は、コンヴィヴィアル(自律協生)な社会における共創をテーマに研究と実践活動に取り組んでいます。

京大オリジナルのナレッジ・プロモーション事業部 部長川村健太氏とGGP事務局の山北絵美も加わり、どうすればサステナブルな地域社会になるかについて意見交換しました。

  • イベントレポート
  • アーカイブ

イベントではまず、前田氏が「まちづくり」について以下のように分析しました。

前田氏

前田 「私は『まちづくり』というのは、自分たちのまちのことは自分たちで、共同で管理していくことと理解しています。これは、仲良しの人だけで楽しくやっていくだけでなく、立場や価値観が違う人とも存在を認め合い、一緒にやっていくということです。ただ近年は、そもそも“自分たちのまち”とは何か、“地域”や“コミュニティ”というものを想像しづらい時代になっていますよね。その原因としては、自分の住んでいる地域社会で他者に出会う場が少ないことが問題なのではないかと思っています」

“他者と出会う場”とは、どういうことなのでしょうか。前田氏は続けます。

前田 「他者と出会う場所の例として、地蔵盆という行事があります。関西の方は馴染みがあるかと思いますが、京都の場合は8月の終わりごろに町内ごとで祠に納めてあるお地蔵さんを祭壇に飾り、その前でお坊さんを呼んだりして、住民が一日楽しく過ごすという会を開くんです。宗教的な儀礼ですが、子どものための祭りという趣旨もあるので、子どもが集って遊んだり、大人も参加して、多世代の交流の場所になっています。こういう場所があることで、自分たちのまちだと感じられるようになりますし、それが媒介となって、世代を越えたつながり、つまりサステナビリティというものが考えられるようになるのではないかと、私は考えています」

井上 「コミュニティには内に向かって閉じていく側面があって、これがしんどいなと僕は思っているんです。でも、自然やご先祖様、仏様といった存在を媒介にすることで、コミュニティが閉じていかないようにする。そういう工夫がかつての日本社会にはあったんですよね。だけど今の、特に都市部のコミュニティは人だけから成るので、閉じていきやすいんです。そういう中で『あの人は嫌い』みたいなことが生じて、付き合う人が偏ったりして……。地蔵盆などは、地蔵というものを媒介に、コミュニティが閉じずに、人のつながりを保つための工夫だったんでしょうね」

前田 「こういう儀礼的なものは、これから社会を担っていく子どもとか、もしくは、次に生まれてくる世代のことを考えてつないでいくべきものでした。それと、先祖の供養などの意味合いもあるので、過去の世代や未来の世代について思いを馳せることにもつながり、世代間の関係が生まれていくきっかけになっていたのだと思います。一方で、儀礼なのでしんどくても続けざるを得ないところもあって、そのことでサステナビリティというか、継続すべきものとして残ってきたというのはあると思います。周りを見渡すと、会社の行事や地域の行事など、宗教的なものじゃなくても儀礼っぽくなっているものって他にもたくさんありますよね」

井上 「儀礼化することによって人の思いが必要なくなるんですよね。儀礼になると、仲良くなくても、取りあえず集まってやんなきゃいけないよねってなるじゃないですか。だから特に関係のない人たちを出会わせたり、共に過ごさせたりして関係を維持していく上で、儀礼というのはとても大事だなと思います」

次に、日本総研と武蔵野美術大学が共同研究の拠点として設けた「自律協生スタジオ/コンヴィヴィアル・デザイン・スタジオ(通称:コンヴィヴィ)」で、研究をしている井上氏が、これからのコミュニティのあるべき姿について語りました。

井上氏

井上 「コンヴィヴィアルとは『共に生きる喜びに満ちた』という意味なのですが、自律協生スタジオ『コンヴィヴィ』は、共に生きる喜びに満ちた社会の実現を目指して、研究・実践・創造する産学協同の拠点です。近年、“社会課題”ということがよく言われていて、僕らもついつい“課題”と言っちゃうのですが、課題ばかりに目を向けているとだんだん課題を挙げつらうことで仕事した気になって、“解決”がおざなりになっていくという側面があるように感じます。武蔵野美術大学と付き合うようになって、アーティストの良いところは、“課題”より“可能性”に目を向けるところなんだなと気づかされたので、そういった視点で、見過ごされてきたものに役割を与えて、ドキドキ、ワクワク、ハラハラしながら対話し、表現し、力を合わせて新しい風景を共に創造していければという思いで、今、さまざまな地域で武蔵野美術大学の学生や先生たちといろんな取り組みを行っているところです。

今までであれば、地域には、行政のサービスや企業のビジネス、例えば交通、通信、郵便などがあったわけですよね。そこに住民の自治というものがあって、地域にとって本当に必要なことを、行政・企業・住民の自治で役割分担しながら維持してきたんです。ところが、人口が減って、行政もお金がなくなり、企業は撤退していくと、本来やらなければいけないことができなくなってきたんですね。ではこれからどうするかというと、僕は、みんなで少しずつ持ち出し合いながらやっていくしかないだろうと考えています。行政に100パーセント任せるでもなく、企業ばかりが頑張るのでも、住民の自治だけでやるのでもない。企業もお金を出せるところは出して、従業員が手伝えるところは手伝う。行政も住民もそれぞれできるところはやる。というふうに、みんなで少しずつ持ち合うことでつくるのが、これからの“公共”であり、それは決してしんどいことではなくて、みんなが一緒に参加しながらやるから、実はそのほうが楽しいのだという価値観で、和気あいあいと公共をつくっていく、『コンヴィヴィ』ではそういう社会を目指していきたいと考えています」

実際にその取り組みの一環として、北海道から九州までいろんな地域に行き、とにかくひたすら人の話を聞いて、飲み会をしているという井上氏。その理由をこう語りました。

井上 「僕は、課題課題と口にするよりも、地域のみんなと飲み会をするほうが大事だと思っていて、とにかくまちのみんなと楽しみながら、いろんな人たちをつないでいます。今は北海道森町という人口14千人ぐらいの町にも出入りしているんですけど、そんな小さな町にも農林水産業すべてがあるんですよね。でも、農業・林業・水産業が全部縦割りでつながっていないんです。それを、飲み会をしながらつないでいくと、そこで農業と林業の連携が生まれたり、水産と林業の連携が生まれるみたいなことがどんどん起こって、いろんな新しいことが始まってくるんですよね」

当事者として地域のサステナビリティと向き合うにはどうすれば良いのでしょう。井上氏がひとつの方向性を示しました。

井上 「地域との関わりということで考えると、例えば森を見ているだけだと距離は縮まらないんですよね。でも、森に入って木を切ったり、手入れしたりすると、当事者意識が芽生えてくるんです。だから手を下すって大事ですよね。その地域の行事に参加するのもそうですが、みんなで道の掃除をしたり、草刈りをしたりすると、自分のまちになっていきません?
手を下しながら共に過ごすことによって、初めて当事者意識が生まれ、地域に何かしようという責任感が芽生えてくると考えると、今のサステナビリティには、手を下すという点が足りていないのではないかと思います」

GGP事務局の山北

山北 「今のお話を企業の立場で考えていました。私は、個人として、地域と関わり続けています。もともと私は大学時代に京都におり、そのころは林業をきっかけに地域にどっぷり入っていました。東京に就職した後も千葉の林業関連の集まりに参加していて、それが10年ぐらい続いています。一方で、企業人として地域とどう関わり続けられるかと考えたときに、1日8時間働く中で、自分が関わっている案件すべての自治体さんとどこまで深く関われるかというと、けっこう難しい部分もあると思います。やはり企業人としては、自分という一人のリソースをどこにどう配分していくかということを考えます。そう考えると、当事者として地域に関わり続けられる枠組みみたいなものが必要なのかなと思いました」

井上 「ところで地蔵盆って、京都では続けていけているんですか」

前田 「いろいろですね。割合でいえば、市内全体の町内会のうち8割弱ぐらいでやっているので、数でいうとかなりやっているんですけど、ただ、その度合いはさまざまで、賑やかにやっている所もあれば、子どもさんがいなくなった地域で、数人で続けている所もあります。もともと町内の人たちだけで続けてきた行事なので、小規模でほそぼそとでも続けていけるのは良い面でもあります。ただやっぱり参加者が少なくなるのは寂しいですね」

井上 「過疎集落や限界集落のことを調べると、結局、祭りや儀礼を維持できなくなったときに、一気に地域が駄目になっていくことが分かります。人口が減って神輿が担げなくなったとかいろいろな理由があるんですけど、サラリーマンが増えて今までの時間感覚と違う人たちが地域の主体になり、地域にコミットできる働き手がいなくなっていることが大きいです。その結果、コミュニティの維持に重要だった祭りや儀礼が行えなくなって、地域そのものを守っていけなくなっているんですよね」

近代化以前までは持続していた地域コミュニティが崩壊した状況や、近年はコミュニティ・デザインという概念が台頭している状況についてここまで語られました。では、そもそもコミュニティとはデザインできるものなのでしょうか。

井上 「コミュニティをデザインできるかと問われると、なかなか難しいという思いはあります。でも、ある程度核となる場をつくっていくとか、そこに人々が関われるきっかけをつくっていくことは、できるのではと思っています。そういう場やきっかけをつくると、人間は社会的な生き物なので、『面倒くせぇな』とか言ってたおじさんでも、自分の話を聞いてもらえたり、今まで会ったことのない人と話せる場所ができたりして、楽しそうに参加するようになるんですよね。」

しかし、そうやって生まれたコミュニティも、育てていくには障壁があると井上氏は言います。

井上 「僕はよく“話し合い・力合わせ・せめぎ合い”って言うんですけど、話し合ってるうちは盛り上がって、次に実際にみんなで力を合わせて話し合ってきたことを実践しようとします。そこまではいいのですが、力を合わせていくと、途中で必ずせめぎ合うんですよ。エゴも出てきていろんな利害も衝突するので。だから話し合う。この、せめぎ合って、また話し合って、力合わせして、またせめぎ合って、ということを繰り返していくと、だんだん“あうんの呼吸”のようなものが生まれてくるんですけど、そうでない場合は途中で空中分解してしまうこともよくあります。話し合うこと、力を合わせることが結構重要かと思います」

前田 「コミュニティというものを、“何らかの共通点を持っている人の集まり”くらいに広く捉えても問題ないのかなと私は思っています。だから、地域や場所を必要としないコミュニティも当然あってよくて、趣味などで気軽に集まった人たちもコミュニティです。ただ、デザインできるかと問われると、両面あって、コミュニティは木などと同じで育っていくものだという捉え方もありますし、一方でそれだけで維持できるかというとそうではないので、つくっていく、デザインしていく部分も必要だとは思いますね。しかし、つくることだけを目標にすると逆効果になってしまうのではという思いがあります。つくっていったり、何か課題を解決しようとしたり、目標に向かってやっていこうというのは、暗に現状が駄目だと否定している側面があると思うんですね。特に高齢化が進んでいる都心部や過疎地などがそうかもしれませんが、自分たちの地域社会についての“諦め感”がすごく強くて、だからそういう所で最初から『何かつくろうぜ』と訴えても地元にはまったく響かないし、うまくいかないんですよね。井上さんがおっしゃっていた飲み会じゃないですけど、そこで時間と空間を共にして、現状を認識するとか、経済的な側面だけではない価値があるんだとか、そういうことから始めるのが第一歩だと思いますので、そういうプロセスがデザインの対象になるのかなというふうに思います」

ここで井上氏が、新たな価値観を提案しました。

井上 「課題解決のためのコミュニティみたいになると辛いっていうのは、おっしゃるとおりだと思います。そこで僕は、“ポンコツを愛でる”ということを言っています」

“ポンコツを愛でる”とはどういうことなのでしょうか。

井上 「例えば僕は消防団にも入っていたんですけど、消防団のみんなと飲んでると、自分がいかにバカなことをやったかという“ポンコツ自慢”になるわけですよ。人をくさして笑うのではなく、自分のポンコツ自慢をして笑い合うコミュニティは結構いいなと僕は思っているんです。僕はいろんな地方に入り込んでいますが、正しいことでつながろうとすると必ず、原理主義的になっていって『あいつのやってることはダメだ』みたいな話になっていくんですよね。けれども、みんなでポンコツ自慢をしながら、ポンコツな奴も受け入れるんだというコミュニティの雰囲気をつくっていくと、コミュニティが緩やかになって、そこからどんどん広がっていくんです」

コミュニティの中にいろんな人々がいると、取り組み意識の差や食い違いが生まれてきたりしないのでしょうか。これに対して井上氏はこう回答しました。

井上 「ポンコツでいいので、うまくいかなくていいんですよ。そもそも、うまくいくためのコミュニティをつくろうとすると、うまくいかない人間がこぼれ落ちてしまいますよね。そう考えると、何かをやっていくときに、うまくいかないことが前提だと思っておいたほうがよくて、基本はうまくいかないんだということを前提にしながら、それでもみんなで何かをできたときに、楽しく笑い合えるようなコミュニティのつくり方がいいんだろうなって思いますよね」

以下は、事前に視聴者から寄せられた質問についての回答と意見交換です。

トークセッション風景。左から川村氏、山北、井上氏、前田氏

質問:地域の課題に企業が介入しようとすると先行投資が必要になるが、それをそのまま他の地域に横展開しようとしても、地域ごとに事情や課題がさまざまなので難しく、新たに費用がかかってしまうがどうすればよいか

井上 「これについては、皆さん本当に悩んでます。なぜ悩んでいるかというと、地域にきちんと入っていかないと地域にとって意味のあることができないからです。でもそれをしようとするとかなり手間がかかります。だから、簡単に横展開できないんですよね。かつ、得られる利益も小さい。そうすると、企業としても結局、手早くお金になる部分を用意していかないとビジネスにならないから、その地域にとって役に立つかわからないけれど、何か大きなプロジェクトを自治体に売り込んで大きな金額で買ってもらうというビジネスモデルになっていってしまうんです。でも、そういうものは、地域にとって価値を持たなかったり、逆にそういうものがあるがために、地域の人たちが企業に任せっきりになって主体性を失っていったりするので、これが大きな悩みになっていて、僕にも答えはないんです。
地域にとって本当に役立つ取り組みを企業のビジネスとして成立させ、企業と地域の人が共に生きていける社会をつくれるかというのは大きな問いですが、今は答えがなくても、そこに向かって挑戦し続けるしかないと思っています」

山北 「GGPの多くのパートナー(会員)も地域に根差した取り組みをしておられますが、地域と企業の目線を合わせて、一心同体に捉えていらっしゃる方が多いのかなと思っております。個人的には、地域目線をもちつつ、ビジネスの視点でも考えられる方と連携していくのが大事なのではと思っています」

井上 「京都市は、数年前に『地域企業宣言』というのをしているんですよ。ここで京都市は、これからは、“中小企業”や“地場産業”というのではなく、“地域企業”という言い方をしようと宣言しているんですね。そして、その地域企業になるために、企業は利益を追求する一方で、地域のメンバーとして地域にある種の貢献をしていくような枠組みをつくっています。これは、すごく先進的なことだと思うのですが、まさに山北さんが言われたようなことですよね。企業は、まず自分の置かれた地域で何ができるかを考えながら、その地域ときちんと付き合っていくと。その上で他の地域や大きな市場に出て儲けてもいいのですが、まずは地域の目線を持ち、地域と主体的に当事者同士で付き合う関係をつくってもらおうと、今、京都市は頑張っているし、そこに僕らは学ぶべきことがあるんじゃないかという気はします」

前田 「『横展開が難しい』というのが私は十分にイメージできてないのですが、地域と関わりながらでてきたアイデアや解決策には特殊解が多いですし、いろいろ面倒くさいこともあって手間がかかるというのはわかります。でも、私としてはそれがデメリットではなく、だからこそ価値があるんじゃないかと考えています。地域に身を置いたからこそ半ば偶然に見出されたものにはオリジナルな価値があると思いますので。そういうふうに思えるのは私が大学という、行政や民間企業ほどは成果を急がず、地域とじっくり付き合えるという立場にいるというのもあります。でも、すぐに普遍化できなくても、それが似たような境遇に置かれた地域や集団と共有可能なものであれば十分に経済的なチャンスも生まれるのではないでしょうか。
あとは、企業が社会貢献で地域に入ってこられたときに、地域側に立って見ると、『やってほしいのはそこじゃないんだけどな〜』みたいなことはありますよね。本当はそれぞれの企業に得意なことがあって、むしろそれを活かしてまちづくりに貢献してほしいんだけれど、身構えてしまうのか、『何か貢献しないと』と意気込んで入ってこられて失敗されている例も見受けられます。企業のひとたちも、もっと得意なことを使って活動するということが自然にできる社会になったらいいのにと思っています」

山北 「今の前田先生のお話でひとつ思い出した話があります。国内で頭打ちになっている日本酒市場を踏まえ、地域の酒蔵さんが、日本酒を海外に売っていきたいということで、インバウンドのツアーをできないかというご相談がGGPにありました。ちょうどその時、コロナ下での行動規制が緩和され、インバウンドツアーを行うベンチャーからも何か一緒にやりましょうという話が出てきました。すごいタイミングですが、両者をつなげることで新しいツアーを企画できたということがありました。これは企業と企業の例ですが、地域でも、例えば町おこしをしようとしても、ある一定の規模やクオリティを追求し始めると、業としてやらないと難しい部分がありますよね。『地方に来てもらうツアーをしよう』などの企画もよくありますが、それも実際、地域の方が手弁当で、宿の予約やバス手配などをやっていたりすることも多かったりします。でも考え方を変えて、この事例のように旅行業の方にお願いすると、少しお金を払えば、すごく高いクオリティでスピーディに実現できたりするんですよね。
昔は“社会貢献をビジネスに繋げることは悪だ”というような風潮もあったと思いますが、一定のレベルを越えた規模のことをやろうとすると、業法というものが出てきます。そのため、ビジネスに乗せたほうがスケールしたり、地域にとってもいいことが沢山あるのではと思っています。そこがどうやったらうまく組み合わせられるのか、どう提案できるかがポイントなのかなと感じています」

質問:過疎自治体にとって人口減少が一番の問題だと考えています。しかし、移住者募集や関係人口増加などは、地方が人口を奪い合うゼロサムゲームであると思うのですが、ぜひご意見を伺いたい

井上 「先ほど話したように、限界集落のような所は本当に維持ができなくなってきて、非常に大変な思いをされていますが、全体で見ると今の日本列島は人が多すぎるので、僕は人口が減っていくことは大きな希望だと思っています。でも人口が減っていく過程において、住んでいる地域が極端に偏っていることと、世代が極端に偏っていることが問題なんです。だから、これから2100年までずっと人口が減っていく期間をどうやっていくかは、ずいぶん大きなテーマですけど、外からうまく人を迎え入れていくしかないのかなと思っています。それは単に移住者を増やそうというのではありません。例えば僕の友達が秋田でやっている事業「Share Village Project」があります。他府県の方々に“年貢”を納めてもらって『村民』になってもらい村を維持するという取り組みなんですが、『村民』の権利として、稲刈りや屋根の葺き替えを手伝えたり、“里帰り”と称して村に宿泊できたりするんですよね。そうやって地域の生活を体験として楽しみたい方々を巻き込みながら、地域の人たちだけではできないことをおこなっていくというのはこれから大事になってくるのかなと思っています。でも人口でいうと、江戸時代末期の日本は人口が3000万人くらいですけど、そのときは完全に食料とエネルギーを自給自足していたので、人口が減っていくっていうのは、日本全体がサステナブルになっていくためにはとても重要なテーマだと思っています」

前田 「僕の研究室ではここ数年、瀬戸内海に面した牛窓(岡山県)という小さな港町のまちづくりに関わっているんですが、そこを見ていても人口減少は深刻ですよね。でも井上さんがおっしゃったように、江戸時代の密度感に戻っていくと考えれば、そういう時代もあったわけですよね。我々は、人が増えて成長していく時代を経験しているので減っていくことに不安がありますが、それをどう受容していくかはこれからすごく大事ですよね。増やす努力も必要だと思いますが、減った状態でもやっていけるかどうかをベースに、まちづくりなども考えていく必要があるんだろうなと思います
あと、牛窓では、数はそれほど多くないですがユニークな移住者の方が増えていて、それがまちの元気にもつながっていたりします。さきほどゼロサムゲームというお話がありましたけれども、奪い合いみたいな感じで誘致してきた人口って、あまり長くは続かないと思うんですよね。ですから、数は目指さなくても、そういうキャラが立った人が住みたいと思える魅力的な町をつくるということが大事なのだと思います。また、僕たちの研究室では牛窓の元診療所をリノベーションした施設のなかにサテライトラボを構えているんです。人口は減っても大学や企業などの法人が入っていけば主体の数は維持されるので、そうやって地域の活気をなんとか取り戻していければよいのではというふうには思います」

井上 「そういう意味では、学生が入っていくのはいいですよね。武蔵野美術大学でも3年生の9月から10月の1カ月間は、地域に学生が住み込むんですけど、それがすごく地域の人たちを元気にするし、楽しみにしてもらえている。学生もハマっちゃって、結局、そこに移住しちゃうとか、そういう子たちが出てきているので、学生と地域をうまく絡めていくのはよい取り組みだと思います」

前田 「そうですね、私も、学生の力というのはすごく感じます。今週末も牛窓に行くんですが、ちょうどその地域がお祭りの存続の危機に遭っているそうで、学生たちとだんじりの巡行に参加させてもらえることになっています。地域が維持できる程度には定住人口が必要だとは思いますが、本当にみんな住んでないといけないかというと、必ずしもそういうわけでもないのかなと思いますね。日本全体としては人口が減っていくわけですから、それでも地域が存続していける方法を考えないといけません」

井上 「僕は学生のときに青森の山村に入って調査していたんですけど、そこのおじさんたちが『あと10年したら、この村はなくなっちゃうかもしれないんだ』って言っているときの顔がとても寂しそうだったんですよね。たぶん彼らは、自分たちの暮らしが続いていくかどうかよりも、何か後世に託せる感覚があればいいんですよ。村はなくなるかもしれないけど、村の森や畑はどこかに託せる、面倒を見てくれるんだと思えたら。僕は、未来に託すことができなくなったときに人間は希望を失っていく気がしていて、だから何か未来に託せる仕組みをつくってつないでいくことで、日本から希望が失われないようにできないかというのはずっと考えています」

質問:こういった社会課題に対して、大学、企業、行政それぞれの果たすべき役割、そして、行政に支援してほしいと思うことがあれば教えてください

井上 「例えば今までであれば、鉄道というものは民間の会社が敷いて、線路を保持して、運営までおこなっていました。けれども、これが維持できなくなってきて、ある鉄道会社では、線路は自治体で管理してもらい、運営だけおこなうということもしています。これを『上下分離』と言いますが、そういうことをやりつつ、あとは住民たちがみんなで電車に乗って支えていこうとしているんですね。この例のように、みんな少しずつ協力して、少しずつ持ち出し合って『公共』を維持していくことが、これからやっていかなければならないことなんだろうなと思いますね」

前田 「自分が関わっているまちづくりのフィールドなどでは、面白い事業や活動をしているプレーヤーと出会う機会が多いので、行政には、彼らが動きやすい環境を整備してくれることを期待したいですね。たとえば、今の都市計画や建築の法規では原則として、京都の街なかに多い路地奥の建物は大規模な改修や建て替えができません。これまでのまちづくり関係者の努力によりだんだんと変わってきていますが、他の分野でも面白い事業やプレーヤーがどんどん世に出てくるような環境づくりや支援を、行政の役割としてお願いしたいです。
大きな利益は生まないけれど無くなると困るといったところに長期的に関わっていけるのが大学の良さだと思いますので、むしろそういうところに今後も積極的に関わっていきたいなと今日、改めて思いました。企業が抱える課題や悩みについても勉強させていただきましたので、今後、何か一緒に考える機会があるとよいなとも思いました」

山北 1つの自治体では解がなくても、他の自治体が解を持っていたり、実は地域の企業が提供できるサービスを持っているということもあります。しかし、それが意外とつながっていないと思います。以前、色々な地域でお仕事をされている企業から、さまざまな地域で集めたデータを元に、色々なリソースをつないで自治体の課題解決に関する提案をされていると聞きました。事業で得た知見を地域に還元できる点も企業の強みになっていくのかなと思いました」


『地域の当事者目線で考えるサステナビリティ』をテーマに行った今回のトークセッション。
「他者と出会う場」「地蔵盆」「自律協生」「ポンコツを愛でる」「人口減は悪いことではない」「未来に託せる仕組みづくり」などこれからの地域運営のヒントとなるさまざまなキーワードが出てきました。

動画再生時間:約92分

00:04:15 GGP紹介
00:06:41 イベント本編開始

  • TOPに戻る

関連記事