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“サステナビリティ×コミュニティ”シリーズ―vol.1 コミュニティを問いなおす

Date: 2021.09.10 FRI

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サステナビリティと「コミュニティ」の関係を考えるGGPイベントシリーズ第一弾として京都大学こころの未来研究センターの広井良典教授(写真中央)をお招きし、トークイベント「コミュニティを問いなおす」を64日、開催しました。広井教授の同名の著書(ちくま書房、2014年)では、「コミュニティというテーマを、都市、空間、グローバリゼーション、福祉ないし社会保障、土地、環境、科学、ケア、価値原理、公共政策等々といった多様な観点や領域から掘り下げていきたい」と書かれています。なぜ今、コミュニティの再構築が必要性とされているのか、そして具体的な取組事例にどのような可能性があるのか、お伺いしました。
聞き手:株式会社ロフトワーク 執行役員 兼 イノベーションメーカー 棚橋 弘季(写真左)、株式会社三井住友フィナンシャルグループ 企画部サステナビリティ推進室 室長代理 木村 智行(写真右)

  • 1.古い共同体が崩れ、新しいコミュニティができていない
  • 2.これからの経済社会でもとめられる「共」とは
  • 3.サステナブルな地域循環とコミュニティ

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授

1961年岡山市生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院修士課程修了後、厚生省勤務、千葉大学法政経学部教授をへて2016年より現職。この間200102MIT(マサチューセッツ工科大学)客員研究員。専攻は公共政策及び科学哲学。環境・福祉・経済が調和した「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱している。『日本の社会保障』(岩波新書)でエコノミスト賞、『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で大仏次郎論壇賞受賞。他に『ポスト資本主義』(岩波新書)、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)など著書多数。内閣府・幸福度に関する研究会委員、国土交通省・国土審議会専門委員、環境省・次期生物多様性国家戦略研究会委員等を務める。

コミュニティと一言で言っても、時代や社会背景によって求められる役割は多様で、可変的かつ進化するものです。それを前提に広井教授はひとまず「コミュニティ」=「人間が、それに対して何らかの帰属意識をもち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団」と、著書の中で位置づけています。本イベントでもこの定義を起点とし、近代化による従前の共同体の崩壊と、現代日本に適したコミュニティ構築のための課題を浮き彫りにします。

広井 コミュニティとはそもそも何か。ホモサピエンス20万年の歴史を振り返ると、もともと人間は生きていくためにコミュニティを作ったと言えます。まず狩猟採集社会がそうで、農耕が始まるとコミュニティは一層緊密なものになりました。
近代になると、コミュニティから独立して個人が自由に活動をするようになりました。それと並行して産業や市場経済が発達し、技術の進化に伴い人口とエネルギー消費が一気に増えます。工業化社会の中で、何億年もかけてつくられた化石燃料をたった2300年で使い尽くそうとしているわけです。そうした活動は、物質的な豊かさを実現してきた反面、資源や環境の限界を迎えているのが今日的状況です。

図1

木村 経済システムの進化とコミュニティのダイアグラム(図1)では、現代社会が抱える課題とコミュニティの関係が深いことを記しています。

広井 その通りです。経済も成熟段階になり、コミュニティのあり方が正面から問われるようになってきたと言えます。

日本の人口の変化を見ると、江戸時代は約3000万人で安定していましたが、近代化で経済が拡大し、2008年の12808万人をピークに人口が減少しはじめ、今の出生率が続けば2050年には1億人を切る試算です。図2を見ると、ジェットコースターが落下する際に私たちは立っている。
人口減少はもちろん私たちに多くの難題を投げかけますが、私自身は、それをチャンスだと捉えています。経済や人口が拡大を続けた時代は、山登りに例えると一つのゴールに向かって集団で登っていた。急な坂道が示しているように相当な無理をし、過労死などの問題が出てきたり、この坂道の過程で多様性や人生の選択が画一化されたり、置いてきぼりにしてきたものがあると考えています。山頂に立った今、視界は360度開け、個人がこれまでよりも自由度の高いかたちで自分の道を選んでいける。クリエイティブに、繋がりを作っていく時代だと思います。

図2

木村 高度経済成長期を通してコミュニティはどのように変化し、今後のコミュニティと社会にはどのような関係性が求められるのでしょうか。

広井 高度成長期は、農村から都市に日本人が大移動した時代でした。ムラ社会から離れ都市に移った日本人は、「会社」と「家族」というふたつのコミュニティに帰属するようになります。昭和のニッポンはこのふたつが両輪になって、切磋琢磨しながら全体として富が拡大していった。Japan as No1と言われ、国際的に日本は経済成長のベストプラクティスと言われました。団塊世代に象徴されるように、良くも悪くもこの成功体験を経験した世代は、昭和のやり方を続ければよいという発想が強く染み付いてしまった。人口減少時代に入ったにも関わらず、拡大・成長時代の方法を続け、社会の現実とのギャップが広がっていったのが、「喪われた何十年」といわれる平成の時代です。

令和に入り、拡大成長よりもサステナブルな志向が高まってきました。もちろん人口が減り続けるのは問題なので、サステナブルに軸足を置いた発想のあり方や行動が大事で、その結果として生活や人生の選択に余裕ができ、仕事と子育てなどの両立もしやすくなって出生率も回復し、人口が定常化していくことが望ましいと思っています。

棚橋 「農村型コミュニティから都市型コミュニティへ」(図3)ということを本で書かれています。このふたつの違いと、なぜ都市型コミュニティが必要なのか、教えてください。

図3

広井 農村型とは、いわば同心円を広げてつながる共同体的な一体意識がベースのコミュニティで、情緒的な繋がりがベースです。これはこれで大事なわけですが、こればっかりだと「空気を読む」とか、「忖度する」など、周りに合わせて同調する面が強くなり、抑圧的なもの、息苦しいものにもなります。

日本の場合、こうした農村型コミュニティの傾向が強く、私はその背景を2000年の歴史がある「稲作の遺伝子」と比ゆ的に言っているのですが、農村型コミュニティ的な関係性や行動様式から、急速に都市化した中で齟齬が生じたのではないでしょうか。いじめとか、生きづらさと言われるような日本社会の問題のかなりの部分が、ここでいう農村型コミュニティの閉鎖性や窮屈さから来ていると思っています。コミュニティのテーマを考える重要な点として、日本人は集団の中ではものすごく気を遣うけれど、集団の外に対して閉鎖的なところがあるわけです。

それに対して都市型コミュニティは、独立した個人と個人が、集団を越えてゆるやかにつながるものです。言い換えると、「個人をベースとする公共意識」がベースで、そこでは言葉によるコミュニケーションが重要になります。
例えば、ヨーロッパなどに行くと街の中で見知らぬ人からちょっとしたことで声をかけられたり、ぶつかりそうになった時に笑顔を交わし合うなど、ホッとすることがあります。それはその人が特別親切だとか、利他的というよりは、習慣みたいな振る舞いだと思います。

人間の行動様式は、最初から固定的にあるのではなく、社会が変化する中で、それに適応的に進化していくものです。国民性と言われるような、日本人の決まった行動様式があるわけではない。現状について言えば、国際比較調査を見ると残念ながら日本は先進諸国の中で社会的孤立度がもっとも高い国になっていますが、そうした状況をまずいと感じている人が増えてきていて、現在は、いろんなかたちでのコミュニティづくりが各地で百花繚乱のように生まれている状況だと捉えています。

木村 そもそも人は生存のためにコミュニティをつくり、そのコミュニティが崩壊して生きづらくなってきたので、新しいかたちのコミュニティ醸成が始まっているということですね。

棚橋 本の中で「公・共・私」(図4)ということを言っています。

広井 やや理屈っぽい言い方になりますが、近代社会は、公と私の二元論で成立していたと言えます。政府(パブリック)と市場経済(プライベート)と言っても良い。具体的には、市場経済において企業は利潤を極大化し、そこから生じる格差や環境の問題は、公的部門としての政府が解決するという二元論でやってきたわけです。拡大・成長の時代はその二元論でそれなりにうまくまわっていたけれど、現在は格差が拡大する一方で地球温暖化など環境も悪化し、ニッチもサッチもいかなくなる中で、以上のような「公」でも「私」でもない、もう一つの領域として「共」が重要であることが顕在化してきました。これがまさに今日のテーマである「コミュニティ」です。 
言い換えると、企業行動の中に単なる利潤極大化ではなく、コミュニティ的な原理、つまり相互扶助の原理を入れていくことが必要になってきているということです。

図4(図1~4:広井良典提供資料をもとにGGP作成)

木村 格差や少子高齢化、介護などの問題が出てきて、自己責任を超えた協働が必要となったわけですね。

広井 ここで興味深いのは、公と私の二元論ではなく「共」ないしコミュニティ的な考えが重要であるという考え方は、実は日本においては目新しいことではないという点です。つまり時々話題になる近江商人の「三方よし」の考え方や、渋沢栄一の「論語と算盤」などは共助の考えが基本にあります。二宮尊徳も、江戸時代に地域再生プランナーのような形で、耕作放棄地などの問題に関わり、道徳と経済の一致を唱えていました。「共」あるいは相互扶助の考えが大事というのは、ある意味で日本社会ないし日本的経営のDNAの中にあったもので、それを現代的に再発見、発展させていくことが重要なのではないでしょうか。

木村 会社と家族の間には、地域という共同体があったけれど、そういうものが見過ごされていたと思います。地域の共同体は今後どのようになっていくのでしょうか。

広井 地域密着人口という言い方を私はしていますが、人生の中で地域との関わりが深くなるのは、子供の時期と退職後です。これに対して現役時代は職場のコミュニティへの帰属意識が強いわけです。でも人口構造の推移を見ると、これからは高齢者を中心に地域密着人口が着実に増えていく時代です。
さらに、ここ10年くらい実感することですが、学生など若い世代のローカル志向、地元志向が高まっています。Uターン、Iターン、地方移住への興味も強くなっている傾向がある。例えば地方出身のある学生が、自分の生まれ育った街を世界一住みやすくするのが夢だと言い、もともとグローバルなテーマに関心があり留学していた学生が、日本の中にこそ課題が山積していることに気づき、地方に移住したといった例が増えています。

棚橋 若年層への社会保障として地方への分散居住を促す公共政策を提案しているのは興味深いです。

広井 「サステナビリティ」という言葉を最初に打ち出したのは、国連のブルントラント委員会で、1987年のOUR COMMON FUTURE(我ら共有の未来)という報告書です。その中で、未来世代のことを考えるのが、サステナブルという言葉の中心にあるということを言っています。未来世代が自分たちと同じような権利を享受できることが持続可能な社会なのだと。若い世代や将来世代のことを考えるのが、サステナブルのテーマでもあり、コミュニティのテーマだと思います。

ところが今の日本は若い世代への支援が少ない。教育の公的支出は先進国の中でも最低レベルで、子育てや雇用、住宅、生活支援にしても非常に不足していると思います。それは、コミュニティという視点からも重要な課題です。
今の若い世代の間で、社会貢献や社会的課題の解決への関心が高まっていることと、地方移住などへの志向が高まっていることは関係していて、ポテンシャルとしては非常に高い。しかし実際にはハードルが多いので、経済的な面などいろいろな形で支援する仕組み・政策が重要だと思っています。

地方分散型社会という点に関しては、京都大学と日立が共同で設立した日立京大ラボとの共同研究で、2050年にむけてAIを用いたシミュレーションで2万通りの未来像を描きました。それを分析すると、日本社会の未来にとってもっとも重要な分岐点は都市集中型か地方分散型かという選択で、しかも結論から言うと地方分散型のモデルの方がパフォーマンスが高いという結果が得られました。
コロナによっても、過度の集中型社会のもろさや脆弱性が浮かび上がってきました。昨年コロナが生じた後、再びAIを活用した未来シミュレーションを行ったのですが、そこでは単に空間的な意味での分散ではなく、女性活躍という点を含め、働き方、住まい方、生き方を含む分散型あるいは多様性が、持続可能性のパフォーマンスを高めるという結果が出ています。

棚橋 鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想のプロジェクトについて教えてください。

広井
 日本に古くからある鎮守の森は、ローカルなコミュニティの拠点で自然と信仰が一体になった文化的、精神的な場所です。全国には神社が8万カ所、お寺も8万カ所あり、実はコンビニよりも多い。こうした場所を、再生可能エネルギーの分散的整備と経済循環に結びつけようというのが、このプロジェクトです。プロジェクトの最近の例として、2021年5月、秩父で地元住民の方々との共同出資で小水力発電設置事業が完成しました。50kwで稼働を始め、約100世帯分の電力を供給しています。鎮守の森に象徴されるような自然観は、サステナビリティやコミュニティの土台にあるものと思いますので、そういうものを地域の中で再発見していくのが面白いと思っています。
コミュニティの形成にはソフトをとハードの両面があります。私自身はもともとコミュニティのソフト面に関心がありましたが、次第にコミュニティのハード面、つまりまちづくりや都市の空間構造などに関心が広がっていきました。私の実家は岡山市の商店街で、にぎわっていたころの街が原風景です。でも日本の地方都市の多くは、中心部が空洞化し商店街がシャッター通りになっています。それは道路でまちが分断されたり、過剰な自動車中心の都市構造が原因です。

私はヨーロッパ、特にドイツの都市が成熟社会の都市のあり方として魅力的だと考えています。ドイツの地方都市の場合、中心部から自動車をシャットアウトして、街中を歩行者空間にしているので、コミュニティ空間ということが感じられると同時に、環境や経済にとってもプラスになっている。いずれにしてもまちの空間構造やハード面がどうあるかが、人々のコミュニティ感覚、繋がりの意識にとって大きな意味を持つと思います。

(202164日 ロフトワークにて)

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