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学校を社会に開き、地域の学びの場をつくる(前編)

Date: 2026.03.10 TUE

  • #ソーシャル

  • #地域共創

  • #初学者

人生が旅だとするならば、地図がすぐに変わってしまう時代である。予定していた目的地がいきなり消滅する、地殻変動によりルートが変わってしまうようなことが知らぬ間に起こっている。不安を原動力に、寄る辺を求めた結果、学歴の再生産と未来の準備に子どもたちの時間は消費され、遊びの時間は縮減している。このままで良いのだろうか。
問題意識を確認し、既存の枠組みをはみ出し、ときに亀裂を入れるような教育活動を探すインタビュー・シリーズ「寄る辺なき時代の教育を探る」をGGPと日本総合研究所が共同で企画しました。

vol.01のテーマは、教育の場づくりです。
小中学校と公立図書館の合築で注目を浴びる北海道の安平町立早来学園(あびらちょうりつはやきたがくえん)の構想に中心的に関わった安平町教育委員会教育長の井内聖氏、同学園のICT空間設計を担当するチームラボへのインターン時代に企画に参加した北海道大学産学連携研究員の菊田隆一郎氏の2人に話を伺いました。
校舎のデザインに留まらず、地域連携や産学連携など仕組みのデザイン、学校と社会の関わり方まで幅広い視点で意見交換が行われました。
(後編はこちら)

話し手:
井内聖(安平町教育委員会教育長、学校法人リズム学園 学園長)
菊田隆一郎(北海道大学 産学・地域協働推進機構 社会・地域創発本部 産学連携研究員)

企画・聞き手:
山本尚毅、瀬名波雅子(日本総合研究所)、岡本めぐみ(三井住友フィナンシャルグループ)

井内聖氏(右)と菊田隆一郎氏(左)

——安平町立早来学園は、地域開放図書館「まなびお」を、町民と小中学生が共有する設計です。学校を地域に開く構想はどのように生まれたのでしょうか。

井内聖 きっかけは、2018年の北海道胆振東部地震で安平町が大きな被害を受け、早来中学校の校舎が使えなくなったことでした。校舎再建にあたり、近隣の小・中学校と図書館、公民館を統合し、復興のシンボルとしてつくられたのが早来学園です。小中一貫校で、小学1年生から9年生までが共に学んでいます。
震災後、校舎再建を検討する新しい学校を考える会がつくられ、当時、「はやきた子ども園」の園長だったのですが、教員経験があったことから教育委員会に出向し、「自分が“世界”と出会う場所」「みんなの学校」といったコンセプトづくに携わりました。

早来学園の1階平面 出所:チームラボ

菊田隆一郎 私はICT空間設計を担当したチームラボのインターンとして、2021年の5月から半年間くらい、月に1度安平町に伺っていました。
当時は高校を卒業したての18歳。翌年からニューヨーク大学で教育学を専攻することは決まっていたのですが、どのように教育に関わるか悩んでいたんです。
その時、チームラボが小学校の設計をしていると聞いて、教育空間を作ることに興味がありインターンの立場で携わらせていただくことになりました。
設計プロセスの中で印象的だったのは、特別支援学級に関する議論でした。
日本では、支援が必要な子どもとそうでない子どもの空間を分けるのが通例ですが、ニーズが異なる子どもたちが一緒にいられる場を作る「包摂」のまなざしに、私もハッとさせられました。
ニーズが異なる子どもたちを分けて教育することには正義がありますが、支援が必要とされている子とそうでない子は、学校で分離されて育てば、社会の中でも交わることがないのが現状です。
そのように考えると、むしろ日本の特別支援教育は社会の分断を生み出しているとも言えます。

いっぽう、早来学園は、ニーズが異なる子たちも共に育つ場をつくり、地域コミュニティも一つに統合していく考えがあった。支援が必要な子とそうでない子、地域と社会、子どもと大人が繋がる。
教育空間設計の議論で、これまで分割・分離されてきたものたちを「ボーダレス」にまとめていく設計思想が、壁のない教室、見通しの良い廊下、デジタルを活かした空間として体現されています。

井内 菊田さんが参加してくれて良かったことの1つは、誰が言ったかより何を言ったかを重視する議論が加速したことです。
チームラボの創設者の1人である堺大輔さんに対しても「僕はこう思う」と自信満々に提案している。高校卒業したばかりの素人なのに!(笑)。
そのおかげで、専門家と素人の間で境界を引かず、どの視点で何を根拠に発言しているかに意識が向いていきました。
学びの本質を見つめるために、どういう学校を作りたいかを本気で考える人が集まって、こだわりを持った議論ができました。
構想を取りまとめていた私自身も当時は教育委員会職員でもなく、近接する子ども園の園長だったわけですから(笑)。教師と生徒間の教える教えられる関係すらも見直すことができたと思います。

菊田 チームラボが設計した学校として注目されつつも、校舎が完成した時、井内さんが「普通の学校にしていく」ということを校長先生と話をしていたのが印象的でした。

井内 その時に考えていた「普通」には2重の意味がありました。
特別な学校と位置づけてしまうと、公立学校としての教育が成立しなくなります。特別にならないといけないとすると、それは先生方にも過度のプレッシャーを与えてしまう。そういう意味で普通であることが必要だと思いました。
もう1つは、教育を真剣に考えたら、早来学園の在り方が普通ですよね、と。
例えば、地域開放図書館の「まなびお」に、休み時間の生徒たちがやってくるわけです。その傍らに仕事をしている人がいたりします。
子どもたちは「何してるの?会社に行かなくてもいいの?スーツは着なくてもいいの?」と聞く。
会社に行かなくても仕事ができて、いろいろな働き方をしている人がいると学ぶことになる。職業体験とか職場体験って学校でもやりますが、それとはまるで違う社会を身近に見ることができます。

学校が社会で活躍する人材を育てるのだとしたら、生徒を社会から隔離するのではなく、社会の中で育てることは、普通ですよね。
企業では空間の居心地が良いとパフォーマンスを上げると言われていますが、その意図をもったデザインがなされていない学校でパフォーマンスを上げろというのはおかしいですよね。だから早来では居心地がよくなる空間デザインにこだわりました。

早来学園の教室は街路のような廊下に面して配置された 出所:安平町

地域開放もできる家庭科室 出所:安平町

井内 場を作ることは、価値観を場に埋め込むことだと考えています。早来学園では、多様な人が同じ空間に居るという価値を大切にして、空間のレイアウトや家具の配置をチームラボと話しながらつくっていきました。
それが生徒の行動変容につながるだろうと思っていました。生徒に利用法を伝えたわけではありませんが、まなびおでは、ベンチで自由な姿勢で本を読んだり、地域の人と交流したり、実際にそれが起こっています。

地域住民と児童、生徒が共用する図書室「まなびお」 出所:安平町

——井内さんは中学校の教員から幼児教育の現場に移り、現在は安平町教育委員会の教育長をしながら、安平町や恵庭市で幼児教育を行っているリズム学園の学園長を兼任されています。教員、経営、行政などいろいろな立場を経験され、そのキャリアをふり返りながら、子どもたちをどのように見てきたかお聞かせください。

井内 教員になって最初に赴任した中学校は、職員会議で何時間も生徒のことを考えて議論する熱量のある学校でした。
文化祭と、合唱コンクール、体育大会を3日連続で行って、クラス毎に成果を得点化し、3学年全部の中から総合得点で 1位、2位を決めるという行事がありました。
生徒は、2週間前から朝練までして、体育祭で点数が取れなかったら、次は合唱で取り返すぞ!とものすごく頑張る。
20年前の働き方ではありますが、職員室では、そもそもスポーツと文化を同列にして点数化できるのか、やっている意義は何だとか議論する。教育の方法ではなく、何のために、どんな価値があるのかと、教育の本質を議論できたのがよい経験でした。

次に赴任した中学は、色々な意味で自由な校風の学校で、自分の頭で考えて自分で勉強する生徒が多い学校でした。先生との距離感も前任校とは違っていて、近所のお兄ちゃんみたいな感じで話しかけて来る。まったく校風が違うのを体験して、これはどういうことかと自分の中で分析するようになりました。
そんなことを考えていると教育が面白くなってきて、自分の学校を作りたいと思うようになりました。でも、30歳では校長先生になれないんですよね。
その時に、ある幼稚園で後継者となる園長を探しているという話があり、幼児教育に携わることになりました。でも幼稚園では教科書がなく何を教えるのだろう……?と。
それまで、教育は知っている人が知らない人に教えることだと思っていたけれど、幼稚園ではそれが成立しない。そこで教育観が大きく変わって、教育というのは人が育つことだと思うようになりました。
「教える」の主体は教師でも、「育つ」の主体は子ども。子どもを主体に考えると、子どもはどうやったら育つのだろう、どうやって学ぶのだろう、と考えるようになりました。
ところで、菊田さんはチームラボの後ニューヨーク大学に留学し、その後はどのような活動をしているのですか?

菊田 まず教育に興味をもったきっかけからお話します。私自身は平成の教育改革の中を生きてきました。
小学校時代、文部科学省が「生きる力」を提唱し、小学校高学年で総合的学習の時間が入ってきて、中学・高校では総合的な学習が探究学習に変わりました。
当事者として教育を受けてきた中、自分たち子ども・若者が、教育政策によって1つの方向性に向けて育つように仕向けられていることに大きな違和感を抱いていました。自分たち子どもは、大人に「育てられる」ものではなく、自分で「育っていく」ものなのだという思いが、その時からあったのだと思います。

大学に進学したことで、教育を受ける子どもの立場から、教育を作る大人側へと移行し始めます。しかし実際、ニューヨーク大学で教育学を専攻すると、そこでもやはりどのように子どもを「育てる」のかという方法論、政策設計手法、統計分析手法を学ぶカリキュラムだったので、どこか自分の考えに合わないところがありました。
教育においては、子どもは「育てる」ものであるという思い込みから、人びとをどのように解放していくのか。そんなことをより深く考えるために、大学を休学しようかなと思っていた時に、北海道大学から産学連携研究員として招聘して頂きました。
現在は、道内外のさまざまな高校生の進路選択について研究しています。

私の仕事は、毎日生徒と一緒に学校に通って、一緒にご飯を食べ、生徒の話に日々耳を傾ける。ただそれだけです。
しかしこのように、生徒の話を聞き、生徒を理解するという一見普通のことが、実は学校ではとても難しいことを実感しています。さきほどの「普通」の話にも関連しますが、生徒を理解するという普通のことを、教員はどうやって学び、身に付けるのか、その意識をどうやって普及していくものなのか、井内先生にお伺いしたいです。

井内 生徒を100%理解することは本質的にできないと思う。でも、理解したいという眼差しがあるかどうかが大切。
視点ではなくて眼差しという言葉を使っていますが、この眼差しを共有できると良いと思います。子どもを未熟なものと捉えて、教えるという指導管理の対象にした瞬間にこの眼差しがもてなくなります。刀鍛冶に例えると、叩いて強くしようとするよりも、この素材に対して無心でやるうちに、叩いているのか叩かされているのか分からず、一体になってくような感じ。それぐらいのところまで行って初めてやっと少し分かり合えるのかな。そう思うようになったのは、幼児教育をやるようになってからですね。
普及のさせ方ですが、教員も学ぶことができる機会が必要なのではないかと思います。一般的な公立学校は、構造が草野球に似ていると思っています。つまり監督(校長)と選手(教員)しかいない。メジャーリーグに行くと監督と選手以外にトレーナーやコーチ、戦略を考える人がいますよね。先生はプロなのに、コーチがいないわけです。監督(校長)も、監督の勉強をすごくやったというよりは、選手からただ昇格しただけです。
文部科学省は「チームとしての学校」を掲げているけれど、その実現にはメジャーリーグのように学校にもきちんと専門家を入れていく必要があると思います。
安平町では、総合計画で『子育て・教育』を最重要プロジェクトとして位置づけています。地域と学校をつなげる専門家や、地域おこし協力隊など、あびら教育プランのサポートをしてくれる人材を少しずつですが入れ始めています。

——学校をチームとして考えたときに、企業の関わりしろがあるとお考えでしょうか?

井内 学校の先生が民間で働く企業研修があると良いと思います。学校では、先生の方が偉いという位置づけになっているので意見が通ってしまうことがあります。でも民間企業では、相手にきちんと伝えることが必要になりますよね。教員は伝えるのが仕事なので、その基本的なスキルを養うのは重要だと思います。
産業界に学校教育と関わってもらえるとよいのですが、その場合に難しいのが産業界側に何のメリットがあるかですよね。
企業の人材育成というかたちで学校に関わる可能性はあるかもしれません。学校という異文化や子どもの自由な発想と、企業が持つ豊かなリソースをつなげられる人が育てば、会社に戻った時に会社の強みになるのではないでしょうか。そこに対して価値があると思ったら、企業は社員を学校へ研修に出すかもしれません。
そうした人材は、総合的な学習の時間のプロジェクトの組み立てや、ファシリテートの仕方などで強みが発揮できると思います。
もう一つの関わり方は、企業の経営者などが新しく学校を創設している傾向があります。軽井沢風越学園もそうですよね。いずれにしても、産業界と学校をつなぐコーディネーターの存在がとても大きいと思います。

——教育のサポートとして企業に対して資金面で期待することはありますか?

井内 学校もお金を稼げば良い。はやきた子ども園ではおやつ代を児童が稼いでいますから(笑)。
その理由は、学童保育と児童館が一緒になっているので公費でおやつを出すことができないから。学童保育はおやつが出せるけれど、児童館に遊びにくる子どもはおやつの対象外で、どっちに合わせる?となって、町はおやつを出さないことにしました。でも子どもはお腹が減る。
ニワトリを飼っているので卵はあり、給食の牛乳はある。あとは粉があればホットケーキをつくれる。でも粉が買えない。
そうなったときに、子どもたちは敷地内の森にある木の枝を使ってカトラリーや箸をつくって、販売しはじめました。そのお金で粉を買って、自分たちでおやつを作って課題解決!
そのうち、ハスカップを採取したら売れるんじゃない?ジャムにしたらもっと高く売れる?という発想が生まれる。そのお金でおやつを買おう!となる。
そこで先生が「お金を全部使うより、一部を次の商品開発に回した方がいいじゃない?」と話が膨らむ。
最近は、地域の農家さんの野菜も販売していますが、子ども達はそれを売るために、どう料理にしたら美味しいのかを聞きにいったりして、ポップを作っています。これも全部遊びの延長です。
「おやつは子どもの権利だ!」と、子どもや大人が役場に陳情、努力して解決する。自分たちの課題は自分たちで解決するという方向性です。日本では民間企業=金儲け、金儲け=卑しい、など一部では偏見のイメージを持つ方がいますが、お金は社会では大切なものだから、学校でもきちんと経済知識を身に付けられるようにすれば良いと思います。

左から山本氏、菊田氏、井内氏、岡本、瀬名波氏

(後編につづく/2025年10月24日、安平町立早来学園の地域開放図書館「まなびお」にて 文・特記なき写真:有岡三恵/Studio SETO)

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