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1人ひとりの成長を促す現場から(前編)

Date: 2026.04.09 THU

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寄る辺なき時代の教育を探る vol.02

人生が旅だとするならば、地図がすぐに変わってしまう時代である。予定していた目的地がいきなり消滅する、地殻変動によりルートが変わってしまうようなことが知らぬ間に起こっている。不安を原動力に、寄る辺を求めた結果、学歴の再生産と未来の準備に子どもたちの時間は消費され、遊びの時間は縮減している。このままでいいのだろうか。
問題意識を確認し、既存の枠組みをはみ出し、ときに亀裂を入れるような教育活動を探すインタビュー・シリーズ「寄る辺なき時代の教育を探る」をGGPと日本総合研究所が共同で企画しました。

vol.02では、学校教育の現場から、学校と学びのあり方をゼロから考えておられる、お茶の水女子大学附属小学校教諭の神谷潤氏、学校法人河合塾学園にて新規高校設立を担当する古屋輝周氏にお話を伺いました。
(後編はこちら)

話し手:
古屋輝周KJ ホールディングス/河合塾グループ 執行役員 価値共創人材育成事業開発部部長 河合塾学園新設高校開校準備室長
神谷潤お茶の水女子大学附属小学校教諭)

企画・聞き手:
山本尚毅、瀬名波雅子(日本総合研究所)、岡本めぐみ(三井住友フィナンシャルグループ)

古屋輝周氏(左)と神谷潤氏(右)

——ドルトン東京学園中等部・高等部(以下ドルトン東京学園)やお茶の水女子大附属小学校(以下お茶小)は、一般的な学校教育とは異なる新しい学びの場を作ろうとしています。古屋さん、神谷さんが教育の場に変革が必要だと考えた背景をお聞かせください。

古屋輝周 私は直近では外資系の企業でマーケティングの仕事を10数年間していました。教育とは関係のない職種でした。
教育に関わりたいと思ったきっかけは、米国・シアトル本社にあるエンジニアのフロアが中国人やインド人ばかりで、日本人がほとんどいない光景を目の当たりにしたことでした。
その理由を考えてみた時に、エンジニアとして日本人の能力が低いわけではなく、こういったグローバルな環境に挑戦したいと思う人材が他国より少ないのではないか、と仮説を立てました。
それで調べてみると、18歳の意識調査[*1]で「将来の夢を持っている」割合が世界と比べて日本は最低レベルだということが分かりました。
個人的な仮説として、世界で活躍する人材育成のためには、教育を変える必要があるだろうと考え、2023年に河合塾グループに転職し、新たな教育の形を新規事業として検討することになりました。

実は、20代からいずれは教育に携わりたいと考えていました。27歳で留学先を決めるとき、戦略コンサルタント出身としては一般的にはMBAに行くことが多いと思いますが、もともと興味のあった教育分野の大学院に進むことも選択肢として検討しました。
とはいえ、その時点だとビジネス経験が5年しかない状態では中途半端な経験に終わってしまうと考えて、人生を3段階に区切り、最初はビジネス、40~60代で教育に携わろうと漠然と思っていました。そして40代半ばで今の職につき2段階目に突入しました。ちなみに60代からは飲食業もやってみたいと計画中です(笑)。

神谷潤 私は最初、東京都の公立学校の教員として教鞭を執りました。でも、そこは違和感を覚える教育現場でした。
例えば、みんなに同程度の運動能力を求める「体育」です。
それから「道徳」では「友達に優しくしなければいけない」と、先生が先に答えを用意している。でも優しいとはどういうことなのか、そもそも優しいとは何かなどの根本的な問いについて考えることはしない。
「なぜ皆が同じ体育をしなくてはならないのか、児童が自分の頭で考えない道徳の時間は無駄ではないか……」と、私自身も小学校の頃から疑問を抱いていて、その問題意識が日に日に高まって行きました。そうした時に、「お茶小が向いているのでは」と知人にアドバイスを受け、公募採用でお茶小に赴任しました。
着任当初は、自分の専門教科である「日本のザ・体育を改革して欲しい」という要請に応えなければという意識が強かったのですが、「ここは教科に限定せずに20~30年先の教育を考えるところだ」と学校の先輩から助言を頂きました。
その助言をきっかけに「教育とは何か」という問いをより深く考えるようになりました。そこから教育哲学を学んだり、一般社団法人「未来の体育を構想するプロジェクト」を立ちあげて体育の在り方を問い直す場を作ったりしています。

——中高一貫教育のドルトン東京学園では、どのような人材育成を目指しているのでしょうか。

古屋 ドルトンという名称は、20世紀の初頭にヘレン・パーカーストという教育者が提唱した教育指導法ドルトン・プラン[*2]に由来していて、当校では自由と協働を教育の中心に据えています。
河合塾がなぜそのような学校経営に乗り出したのかというと、それはヘレン・パーカーストが100年以上前に問題提起したような、与えられたことをただこなすことに長けた人材ではなく、主体的に学びを組み立てていくような教育の必要性をこの時代でも、いや、この時代だからこそ痛感しているからです。

カリキュラムの特徴は、自分のペースで学習を進められること。学習指導要領に基づき、学年終了時には一定レベルを習得するのが原則ですが、自分のやりたい理科実験により多くの時間を使ったり、数学の単元を1学年上に自ら進めたり、生徒自らが関心のある学びに注力することができます。定期テストはなく、基本的に校則もほとんどありません。
その自由な環境で生徒がどのように自分の関心を見つけ、掘り下げ、探究を深めていくのか、その環境を学校としてどう構築できるのか。それが我々が取り組むテーマです。
従来のように、とりあえず教科学力の高い状態を目指すのではなく、自分が何をやりたいのかを自ら追求し、探究でもスポーツでも勉強でも、主体的に邁進できるように成長することが目指している姿です。

実際には、校内の起業ゼミに在籍し中学生から起業したり、自分の好きな領域で探究心を広げて学会発表したり、ドローンレーシングを極めて自らクラウドファンディングで遠征費を集めて世界大会で優勝したり、海外留学も学校が与えられたプログラムのみならず自らインターン先を開拓して留学したり……ユニークな人材が育っています。生徒たちが自らの関心と行動で自ら選択肢を増やしていくことが、ドルトンの目指していることと言えます。

——お茶小の教育理念、実践している教育の特徴を教えてください。

神谷
 お茶小は、明治時代に東京女子師範学校附属練習小学校として創設されました。大正新教育運動の影響もあり、教員自身が「教育のあるべき姿」を求めて実践してきた学校です。
文科省の学習指導要領にとらわれず、指導要領の先をいくものを作っていこうという精神がずっとあると捉えています。米国の教育学者ウィリアム・ヒアド・キルパトリック(1871-1965)が提唱したプロジェクト・メソッド[*3]を日本に紹介したのが当時のお茶小の先輩教員で、ドルトンとも源流が近いのかもしれません。

例えば2000年から総合的な学習の時間が小・中・高で設けられましたが、その前身はお茶小が作ったものです。
また今は、道徳の授業を行わずに「てつがく」として授業をしています。まだ他の学校では道徳という教科ですが、道徳の教科化に伴い「てつがく」の取り組みがその内容に影響を与えています。
それから附属の幼稚園との連携研究を古くから行っており、幼稚園での生活を緩やかに小学校での学びにつなぐ幼小接続期カリキュラムに取り組んでいるのも1つの特徴です。入学時は、国語や算数などの教科がなく、子供たちの生活の中から自然と立ち上がってくる学びを大切にしています。また、低学年は教室がオープンです。教室の中央にサークルベンチを置いて、その周りに机を配置しています。前にある黒板に向かって皆が同じ方を向いて座るのではなく、「前」や「後ろ」の概念を作らずに生徒が体を寄せ合って対話するような形式にしています。

古屋氏

——ドルトン東京学園の教育は、生徒にどのような影響を与えているのでしょうか。

古屋 ドルトン東京学園での教育が生徒の成長にどのような影響や効果を与えるのか。それを何らかの形で世に示したいという想いから私の研究はスタートしました。
まず、リーダーシップや協働性など非認知能力と言われているものがどれくらい伸びているかを調査するところから始めました。計測ツールを用いて3~4年分のデータを分析したところ、非認知能力がものすごく向上している生徒たちがいました。中学の入学当初から非
認知能力の高い生徒は高いまま成長している傾向がありますが、入学後に著しく非認知能力が伸びる生徒もいます。

非認知能力の成長には様々な形があって、まさに1人ひとり異なるのですが、あえて急激に伸びる生徒たちの成長傾向を見てみると、共感・傾聴力が向上すると全体的に非認知能力が成長するという傾向が統計的に突出して見られました。一方で、リーダーシップや論理的思考力、批判的思考力だけが上がっても、他への成長波及効果が共感・傾聴力ほど大きくはない。

——共感・傾聴力が向上すると、なぜ非認知能力全体の向上につながるのでしょうか。

古屋 この状況が発生する原因についても研究・分析しました。その結果、相関性が高い2つの事象が見えてきました。
1つは生徒が地球市民性に目覚めることです。
それが顕著となるのが、実際の社会問題に触れたり、専門家の大人と議論したりする経験です。
例として当校のカリキュラムにある高1のアジア研修を取り上げます。インドやスリランカ、マレーシアを訪問し、ゴミ問題など環境問題に取り組む会社を訪れたり、無国籍児童の問題に取り組むNPOに密着したり、様々な社会課題に直面します。そこで彼らはメディアで観ていたことと違う現実に触れることになる。
代表的な事例を話すと、マレーシアで国籍を持たない子どもと仲良くなった生徒が「日本の大学でいつか学びたい。また会おうね」とその子どもに言われたそうです。でもその生徒はなんとも返事に困ったそうです。なぜなら無国籍の子はパスポートが取得できないため、日本の大学に来ることはおろか日本に来ることさえ現状ではできません。その時の無力感を彼女はレポートに書き、法令や戸籍制度など社会の仕組みの何をどのように変えればその子が日本に来られるのかを調べ始めました。
同じように研修に行っても「勉強になりました」で終わる生徒もいます。そこで感じた課題に対して行動を起こせるかどうかが分岐点。行動すると、色々な知見をもった大人に出会ったり、困っている人の意見を聞いたりすることで共感・傾聴力が上がる。それが1つの成長のドライバーとなっていると私は分析しています。

もう1つは、失敗から学ぶ力です。 探究活動といっても本気で課題に取り組めば、どれほど頑張っても結果がうまくいかないことは多々ありますよね。例えば、何かイベントを企画して100人集客するつもりが50人しか来なかったとか。ある程度頑張ったことを、昨今の風潮上誉めることが多いですが、結果が出なかったことを非常に悔しいと思う生徒もいます。そういった生徒は次にまた挑戦するのです。
失敗から学ぶというのは、次に成功をさせるためのアドバイスを人から受けることができたり、同じような失敗をした人の意見も聞けるようになるということですし、この過程そのものが共感・傾聴力を上げる要因と見ています。

その逆で、思ったような結果が出ない場合に「実は本気で取り組んでなかった」とか、「私には向いてなかった」と結論づけて本気で向き合おうとしなかったり、最初の目標を緩めて妥協したり、結果を追い求めない生徒は、非認知能力の成長という意味では伸びない傾向にあると見ています。
だから教員としては、生徒が本気で向きあえるように、単なる高い目標を提示するのではなく、自分ごととして目標を設定すること、そして悔しい思いを持つために本気で社会課題に向き合う環境を作ろうとするのです。あえて失敗してもいい環境を与えるといってもいいかもしれません。

単に調べ学習の延長でまとまったプレゼン資料を作ることを目的とせず、本当に社会課題の解決に繋がる提案なのかを問い続けたり、簡単にチームで結論の出ない状態でチームワークに取り組んだりすることで、失敗から学ぶようにするということです。最終的なプレゼンがうまくできることよりプレゼンの裏側にある思考プロセスで試行錯誤したり、結論が出ない状況に焦ったり、課題の複雑さに打ちのめされかけたり、そんな経験を重要視していると言ってもいいんじゃないでしょうか。

つまり、「地球市民性」と「失敗から学ぶ力」の2つが非認知能力の成長には非常に重要な要素となっているのでは、というのが数年間の分析による仮説です。まだ数百人のデータですので、学術的・統計的な根拠とまでは言えないのですが……。

——神谷さんは教育哲学や未来の体育を中心に活動をしています。日々の実践やそこから得た気づきについて教えてください。

神谷氏

神谷 近年、これまで当たり前だった学校教育が揺らいでいて、オルタナティブな教育機関が増えつつあり、学校や教育の可能性が開かれてきた感覚があります。そうした中で、学校教育とはそもそも何だろうという根本的な問いに立ち返っています。

まず「体育」について器械体操を例に話をします。従来の「体育」はマットや跳び箱、鉄棒など、できることが増えると運動が楽しくなるという考えを基に、全員が習得することを目指して授業するのが前提です。
でも、私の考えはそうではありません。運動にはさまざまなものがあるので、「器械体操ができないと運動を楽しめない」という価値観に回収しなくてもいいわけですよね。 スポーツ観戦を楽しむのだって楽しみ方の1つだと思います。
運動やスポーツへの関わり方、体と健康の考え方は個々人で違うと考えています。ドルトン東京学園では自分のペースで学ぶということですが、それは当たり前。だから、私の体育の授業では、器械体操をやっている横で走っている人がいてもよくて、それぞれが自分の問題に取り組むことが日常的です。

——学校に対して親や社会からは依然と、教科で高得点をとるとか、良い職業に就くための教育などの要請や要望があると思います。そうした要請に対して、どのようなスタンスでいるのでしょうか。

神谷 一般的に学校の先生は真面目なので、社会的な要請に対して忠実にやろうと努力していると思います。先ほどの体育でいうと、全員逆上がりができるように先生達は努力をする。その難しさを公教育は抱えています。
そうした背景がある中で、私が研究している課題の1つが「子どもたちの脱植民地化」です。小学生にとっての今の教育は、ヴァルター・ベンヤミンが言うところの「神的暴力」であると教育学者の今井康雄氏が述べています。つまり、自覚がないうちから、神様から暴力を受けているような経験のことを言います。過去の人間がつくってきた叡智を否定はしませんが、その学びを子どもが自分でどう生かしていくのかが大事だと思っています。

学校教育というと与えるものとイメージされがちですが、その場にある人や物との出会いによって生成されていくということを起点に考えると、学びの意味が変わるのではないかと考えています。
そして、私自身は、すべての教育を学校でやるべきだとは考えていません。先日、教育哲学に関わる人の会議に参加したとき、性教育の難しさについて話をしました。性教育というのは、ものすごくプライベートなことなので、学校でやるべきことと家庭でやるべきことの線引きが難しいという問題を孕んでいます。学校と家庭、そして地域社会を含め、どのように役割分担して進めていけるかが問われますよね。

——子どもの頃逆上がりがなかなかできず、昼夜を問わずに練習してできるようになった良い経験があります。ドルトン東京学園やお茶小のように自由選択ができる学習方法だと、自由に学べる一方で、強いられないことで経験の範囲が狭くなる可能性も考えられます。
後編では、神的暴力と自由教育のジレンマ、教員と生徒の接し方などについて意見交換していきます。

右から神谷氏、古屋氏、三井住友フィナンシャルグループ岡本、日本総合研究所の瀬名波氏、山本氏、

*1 日本財団18歳意識調査「第62国や社会に対する意識(6カ国調査)」
*2 米国のウィスコンシン州にあるドルトンの小学校で、ヘレン・パーカースト(1987-1973)が実施した学習者中心の教育メソッド。詰め込み型の教育に対する問題意識から提唱し、日本の大正自由主義教育に大きな影響を与えたとされる。
*3 児童や生徒が解決すべき課題を見つけ出し、自ら課題解決のために計画を立てて取り組む学習方法

(2025102日、日本総合研究所 社会価値共創スタジオにて 文・特記なき写真:有岡三惠/Studio SETO)

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