2022.09.12 mon

コレクティブ(第3回)——社会とつながる組織のあり方②

日本総合研究所 井上岳一

組織が優先する企業と個が優先するコレクティブの違い

アート・コレクティブがしばしばオルタナティブスペースを持ち、収益事業を行うのは、既存の美術業界の流通構造から距離を置きたいという思いがあるからです。背景には、金融資本主義と結びつくことでアートが商業主義化し、金融商品のような投資対象となっていることに対する危機感がありました。お金がないと生きてはいけないけれど、今の金融資本主義にはぶら下がりたくない。ならば、資本主義的世界からは適当に距離を置きつつ、それでも自分達が生きていくための新しい場と新しい経済循環をつくるほかない。そういう試行錯誤の中から生まれてきたのが、アート・コレクティブというあり方でした。

同時に、前回紹介したアッセンブルのメンバー達が、「もっと直接社会とつながりたい」という思いから、企業で働くことを辞し、アッセンブルを立ち上げたことも見過ごせない点だと思います。個人でできることは限られます。だから人は組織や集団をつくるのですが、かと言って、既存の企業のような組織では、個人よりも組織が前面に出てしまうため、社会との関わりは限定的になりやすい。それこそ、企業を通じた関係は、金の切れ目が縁の切れ目になりやすく、社会と損得勘定抜きでつながっているという実感は持ちにくいのです。

一方、コレクティブならば、既存の企業にはできない社会との関係をとり結ぶことが期待できます。個人の集合体であるコレクティブは、あくまでも個が前提だからです。企業の場合、組織が個人に優先しますから、組織の都合に個人を合わせることを求めます。しかし、個人が前提のコレクティブに、そのような組織優先の力学は働きません。個人は互いに補い合うけれど、組織のために滅私奉公するようなことはありません。そこが企業とコレクティブとの大きな違いです。

あくまでも個が前提というコレクティブの本質を知る上で、日本で最初にコレクティブを名乗ったと言われるChimPomのあり方が参考になります[*1]。2005年に結成されて以来、17年間もの長い年月にわたって、ずっと同じ6人のメンバーで続いてきたChimPomは、今、日本で最も注目されているアート・コレクティブであり、海外でも高く評価されています。アッセンブルとは異なり、社会課題を解決する活動よりも、社会に向かって鋭い問いを投げ続ける、問題提起型の活動を志向しているアート・コレクティブです。

世界を股にかけ、八面六臂の活躍をするChimPomですが、メンバーのうち、美大出身者は一人だけ。リーダー格だった卯城竜太さんは高校を中退しており、大学には行っていません。美術の専門教育を受けていない若者達が集まって結成されたのがChimPomで、弱く不完全な個の集合体というコレクティブの本質を、まさに地で行っているアート・コレクティブです。

Chim↑Pomのメンバー6名。左から水野俊紀、卯城竜太、エリイ、岡田将孝、林靖高、稲岡求。撮影:山口聖巴

そういうChimPomが、世界各地で刺激的なプロジェクトを成功させてこられたのは、「出会った人たちを魅了して、めちゃくちゃ難しいプロジェクトの目途」を立ててしまうエリイさんの「謎のコミュニケーション能力」や、制作面での信頼を生み出す稲岡求さんの「堅い制作姿勢」、それに「癖ある人間をよく見ているし、接し方もうまい」林靖高さんの人間力、「やりたいことをこれ以上ない感じでプレゼンしてくれる」卯城竜太さんのプレゼン能力、どこでも現地の人と楽しくやれてしまう水野俊紀さんの生活力など、一人ひとりの個性ゆえなのです。この一人ひとりの個性が重なることで集合的に力を発揮するChimPomのことを「良い意味でエゲツない」とメンバーの岡田将孝さんは形容します[*2]。

ChimPomのあり方は、チームとコレクティブとの違いを考える上でも示唆に富みます。「チーム一丸となって」という表現がある通り、チームの場合、集団として統率がとれていて、一枚岩となって創造性を発揮することが期待されます。多様なメンバーが一丸となることで集団のパフォーマンスを上げる。ビジネスやスポーツの世界なら、それが理想だと言われてきましたし、そのためにはビジョンや目標を共有することは必須になるほか、共同生活などを通じて、お互いの人となりを熟知することも有用と言われてきました。これに対し、コレクティブは、一枚岩であることは求めていないように見えます。

卯城さんにはChimPomのヴィジョンを定めようと模索した時期があったのだそうです。しかし、2019年にはそれをきっぱりと諦め、リーダーの座からも降りてしまいます。そして、その年に皆で確認したことは、「ChimPomにはおそらくヴィジョンや統一した目標も趣味の一致もない」「今後は個々の活動でそれぞれのChimPom像が出てくればいい」ということでした。「十何年経ってもChimPomとは何かわからないし、それでいいかなといまは思っています」と卯城さんは述べています[*3]。

このような組織のあり方は、企業的な組織のあり方、チームを重視する世界観とは真逆に映ります。趣味の一致は必要なくとも、集団としてのパフォーマンスを高めるためには、やはり何らかビジョンなり統一した目標なりは必要になるのではないか。きっとそう思うことでしょう。しかし、ChimPomが現代アートの最前線で、質の高いアウトプットを生みだし続け、評価され続けているのは紛れもない事実ですし、それが可能なのは、恐らくChimPomが、一枚岩的でないからなのです。

共通のビジョンも目標もなく、趣味の一致すらないChimPomは、「組織」というより「群れ」に近い存在と言えるでしょう。それは、即ち、ChimPomは、それ自身が社会の縮図であり、最小社会になっているということです。裏を返せば、ChimPomでは、メンバーと向き合うことが、そのまま社会と向き合うことにつながる、ということです。逆に、社会の側からは、一枚岩でないから、色々な「関わりシロ」があるように見える。要は、隙があるのです。この隙が、「社会への開口部」となります。ChimPomは、一枚岩でないからこそ、常に社会に開かれているのです。

カナダの哲学者チャールズ・テイラーは、近代化以前は「多孔的」だった自己が、近代化以後、「緩衝材に覆われた自己」に変容していったと述べます。「緩衝材に覆われた自己」は、強く完全で外界の影響を受けない確固たる自己のこと。対する「多孔的な自己」とは、弱く不完全で、外界の影響を受けやすい、脆弱だけれども世界に開かれた自己のことです[*4]。

弱く不完全な自己が補完し合うことがコレクティブの本質だと言いましたが、補完し合うことで集合体として強くなることを目指すのではなく、集合体としても世界に開かれた、多孔的な存在であることが重要なのでしょう。穴だらけ、隙だらけだけれど、だからこそ他の存在とつながれて、コレクティブなインパクトを発揮できるようになる存在。そこにコレクティブの本質があると思うのです。

多孔的であることに本質があるコレクティブに、チームのような集団としての凝集性を求めることは間違っています。チームは、テイラーに倣えば、「緩衝材に覆われた」存在です。強く確固たる存在ですが、世界に対しては閉じています。

では、世界に開かれた多孔的な性質を保ちながらも、チームに負けないようなパフォーマンス、集合的な創造性を発揮するにはどうすれば良いのか? Chim↑Pomは、メンバーで話し合うChimPom会議をとても重視しています。作品のアイデアから組織の運営まで、Chim↑Pomを続けていく上で必要なことは、ここで全員で話し合うのです。話し合う中で、時にせめぎ合ったり喧嘩になったりするけれど、そういう中から力を合わせられることを見出し、きちんと世界にインパクトをもたらすことをする。多孔的であることを大切にしながらも、集合的に創造性を高めるためには、とにかく話し合うしかないというのが、Chim↑Pomが今のところ辿り着いている結論のようです。

多孔的であることで外に開かれ、話し合うことで内にも開かれている。このようなコレクティブのあり方は、多様性が重視され、課題解決のための創造性の発揮が求められる時代の組織のあり方、仕事の仕方として、極めて示唆に富むと思うのですが、いかがでしょうか。

*1ChimPomは、今年4月、正式名称をChimPom from Smappa! Groupに改名していますが、本稿では通り名であるChimPomと表記します。
*2, 3引用は、『美術手帖』(20224月号)における「ChimPomインタビュー」より
*4チャールズ・テイラーの「多孔的な自己」については、小川公代著『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021年)で知りました。

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