イベントレポート
人的資本経営、どう進める? 人材投資でステークホルダーから「選ばれる企業」に
Date: 2023.09.27 WED
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2023年3月24日、GGPはロフトワークと共同で、「人的資本経営と持続可能性シリーズ」のvol.2として「人的資本経営時代の人材、健康、観光ビジネスとは?」と題したイベントを開催しました。
日本総合研究所で創発戦略センター/マネジャーを務める長谷直子氏、医療情報サイト運営のエムスリーでPatient Support事業本部長の根橋拓也氏、実践女子大学文学部国文学科教授・学長補佐で社会連携推進室長の深澤晶久氏をお招きし、人的資本経営を進めるためのヒントをお話いただきました。講演後はワークショップを開催し、参加者自身が人的資本経営を推進するために何をすべきか探りました。(テーマオーナーのプロフィールはこちら)
広がる非財務情報の開示、企業価値向上へ「人的資本」に脚光
最初に登壇した日本総合研究所の長谷氏は、なぜ人的資本経営に注目が集まっているのか、そして企業はどのように対応すべきかについて解説しました。
人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで中長期的な企業価値向上につなげる経営のことです。企業価値を評価する指標の1つとして無形資産が重視されるようになり、その中でも「人的資本」への注目が高まっています。長谷氏は「機関投資家が重視する非財務情報(ESG=環境・社会・コーポレートガバナンス)の中で、特に人的資本の有効活用や人材育成への関心が高い」と説明しました。背景には、デジタルトランスフォーメーション(DX)をけん引する人材ニーズの高まりや、コーポレートガバナンスの強化を求める投資家などステークホルダーからの声があります。
米国企業(S&P500)では、時価総額に占める無形資産の割合は1985年には約30%でしたが、2020年には90%に急増しました。欧州企業でも増加傾向にあります。一方、日本企業(日経平均)では2020年に32%にとどまっています。長谷氏は「国際競争力を高めるためにも、人的資本の活用が必要になっています」と強調しました。
欧米に比べ無形資産の割合が低い日本企業 出所:Ocean Tomo『Intangible Asset Market Value Study』に基づき日本総研作成
欧米では非財務情報の開示義務化が進んでいます。欧州では10年近く前から人材に関する開示が義務付けられました。欧州委員会は14年、従業員500人以上の大企業を対象にした「非財務情報開示指令(NFRD)」を公表。2022年11月には「企業サステナビリティ報告指令(CSRD)」で対象企業を拡大しました。NFRDの対象企業には24年会計年度から適用され、中小企業にも順次広がっていきます。米国でも2020年ごろから上場企業に対して義務付けられています。
こうした流れを受けて日本でも、人的資本に関する情報開示の動きが活発になっています。2020年9月に企業価値向上に向けて人的資本経営の活用を提唱する「人材版伊藤レポート」が公表され、2021年6月にはコーポレートガバナンスコード(企業統治指針)が改訂されました。
人的資本経営を巡る国内の動き。人的資本の情報開示の枠組みや、取得すべき人事データの方向性が各省庁から相次いで示されている 出所:各種資料より三井住友銀行作成
シーメンスは年間600億円投資、丸井グループはストーリーで説明
長谷氏は「人材版伊藤レポートでは、経営戦略と人材戦略の連動が重視されています。経営目標からバックキャスト(逆算)して必要な人材の採用や育成、配置を戦略的に行うことが大切です」と指摘しました。人事施策でもリモートワークを活用するなど、多様な働き方を推進することが欠かせなくなっています。
2022年には内閣官房から「人的資本可視化指針」が公表されました。開示項目の例として、育成、エンゲージメント、流動性、ダイバーシティ、健康・安全などが、企業価値向上やリスクマネジメントの観点から示されています。金融庁も有価証券報告書の中にサステナビリティ情報の記載欄を新設し、人的資本や多様性を含むガバナンス、リスク管理、指標及び目標などの開示を促しています。
長谷氏は「今後、企業は自社固有の経営戦略・人材戦略と統合的なストーリーの中で非財務目標を示すことが求められています」と述べ、人材関連に戦略的に投資するべきだと訴えました。
既に欧米では人材関連への積極投資が進んでいます。長谷氏は独シーメンスと丸井グループを例に挙げました。
シーメンスはポートフォリオ再編に伴うスキルギャップを埋めるために、年間約600億円規模で人材の教育や訓練に投資しています。丸井グループは今後の人材開発方針として、経営理念やミッションから求める人物像、その先にある長期目標へのつながりをストーリーで説明しています。単年度の損益項目から中長期的に企業価値向上につながる項目を「人的資本投資」として再定義し、2026年3月期までに120億円まで拡大する目標を掲げています。
企業に求められる対応——経営戦略と人材戦略の連動—— 出所:「人材版伊藤レポート」に基づき三井住友銀行作成
長谷氏は「何からどのように対処したら良いか悩んでいる企業も多いますが、課題の解決は新たなビジネスチャンスにもなるでしょう」と積極的な対応を促しました。
健康経営で社員、投資家、社会から「選ばれる」企業に
次に、エムスリーの根橋氏が「人的資本経営×健康」と題して主に「健康経営」について講演しました。健康経営とは、従業員の健康に投資をすることで人的資本経営に活かす取り組みです。
健康経営が脚光を浴びている背景には、健康保険料の企業負担の増加や労働人口減少に伴う生産性の低下、長時間労働やメンタル不調といった経営課題があります。根橋氏は「従業員の健康に投資することで、従業員がイキイキと働くようになります。基礎体力が上がって組織が活性化すれば、潜在的な成長力が向上してイノベーションの創出にもつながります」と好循環を強調しました。
経済産業省が健康経営を実践している企業を認定する「健康経営優良法人制度」への申請件数は増加傾向が続いています。2022年度の大規模法人の申請件数は3,168件で、前年度から299件増えました。中小企業でも2022年度は1万4,430件の申請があり前年度から1,581件増加しています。
健康経営優良法人の2022年11月時点の申請状況。大規模法人部門(左)と中小規模法人部門(右) 出所:経済産業省資料よりエムスリー一部抜粋・改変
健康経営には、人材獲得を有利にするというメリットもあります。根橋氏は経産省の調査(2016年度)で、新卒学生が就職先に求める項目では「従業員の健康や働き方に配慮している」ことが最重要となったことを紹介しました。
企業には、従業員だけではなくステークホルダーがたくさんいます。根橋氏は、「投資家や取引先、地域・社会などからも、これからは健康経営を実施している企業が選ばれるようになる」と強調しました。ESGを重視する投資家だけではなく、今後は取引先もエシカル(倫理的)な経営を求めるようになるとの見通しも示しました。住民向けの市民講座を開催する企業も増えています。「健康経営を実践する企業は社会的責任についての評価が高まるでしょう」(根橋氏)
健康経営のメリット(関係者からの目線) 出所:経済産業省資料よりエムスリー一部抜粋・改変
ステークホルダーからの評価を高めるには、まずは人的資本への投資を増やし、人材を確保し、収益性の向上につなげるサイクルを回すことが大切です。根橋氏は、講演の最後にエムスリーグループの企業向けサービスを紹介しました。同社では、がんに罹患した従業員への対策を支援する「M3がん防災プログラム」のほか、健康診断などの結果から余命を予測する健康指標「EBHS (Evidence Based Health Score)Life:エビスライフ」を用いたサービスなどの提供を始めています。
「2050年責任世代」にバトンを渡す
最後に、実践女子大学の深澤氏が、同大学で取り組むキャリア教育を紹介しました。人的資本経営は企業における従業員を対象にした取り組みですが、深澤氏は「従業員」を「学生」に置き換えることで、大学における人的資本経営を実践しようと試みています。
深澤氏は、「これまで大学は、学生を『管理』の対象として見てきたのではないか」と問題提起しました。「学生を『人的資本』と捉え、成長機会を提供してきたか。学生からリスペクト(尊敬)される場所・経営だったか。もう一度問い直してみることが必要でしょう」と指摘。そのうえで、「私の教育のコンセプトは、『まなぶ』と『はたらく』をつなぐこと。大学経営という文脈の中でウェルビーイング(Well-being)を大切にし、学生一人ひとりに寄り添うことを目標にしています」と話しました。
深澤氏は、2021年に「JWP(実践ウェルビーイングプロジェクト)」を立ち上げています。深澤氏は現在65歳。
「私たちは『2020年責任世代』ですが、今20歳前後の学生たちは『2050年責任世代』です。SDGsの目標は30年ですが、さらにその先の世界に責任を持っています。人口問題や環境問題など様々な社会課題がある中、少しでもいい形でバトンを渡したい」とJWPの狙いを語りました。
JWPに参加する学生たちは、丸井グループと協力して同社のSDGsの取り組みを学んだり、他大学とのワークショップなどを企画したり、精力的に活動しています。深澤氏は「学生たちが自ら、自分自身にとってのウェルビーイングとは何かを考えています。一歩先に視点をおける学生を育てたい」と改めて強調しました。
講演の後、参加者は「働く人のエンゲージメント」「いつでもどこでも働ける」をテーマに、2つのグループに分かれてワークショップに取り組みました。「働く人のエンゲージメント」のグループでは、エンゲージメントが高まらない原因はどこにあるのか、「いつでもどこでも働ける」のグループでは、リモートワークの阻害要因は何かといった視点で意見を交わし、人的資本経営を推進するためのヒントを探りました。